2005/12/29

日本!!

“あっ”という間に 29日!ほんと早いなぁ…
12月9日に日本に帰ってきてから 友達に会って会ってしゃべり続けていた。
けど クリスマスを前にしたころから みんなが働いてる時間=昼間!!が とっても退屈になってきていた。
ぶらぶらするって言っても…日本って ちょっと動くとすぐに 3000円は飛んでいく。
そこで 今回はしないと思っていた バイトをはじめた!時給1500円の訪問看護。これが今回面白い!
なぜならいろんなところにいける。 先週は 淡路を一周 南から北まで 朝七時から夜七時まで働いたぁ!!神戸も北から東…西へと 動く!動く。なんてったって 私 看護師を選んだ理由の一つに“不規則な勤務時間“を 入れているぐらい 毎日おなじ事おなじ時間は 大嫌い。その私にとって 今回のバイトは本当におもしろい!

で…仕事を数日入れはじめたら…とたん。ありがとね?忘年会??食事会の急な誘い。
たいてい 昼と夜に分けて友達と会う約束を年末に入れていた。が…それ以上に 遊ぶ!!毎日 増える体重(笑)。

でも 日本食!ほんとおいしい。
それに みんなが日本食のお店を考えて 楽しませてくれる(感謝!)。
お好み焼き、たこ焼パーティー、うどん、鍋!!そして 昨日食べた 懐石料理!
豆乳鍋と焼肉、お寿司+イタリアン。もう…胃がパンクしそう。
お昼に食べた “ちょこちょこ”っと でてくるあの日本食文化のすばらしさ!!
時々言葉も忘れて 食べること見ること楽しんでいた。
そして夜は“Gree”という インターネット繋がりの方々と忘年会。
豆乳鍋と焼肉!おいしかったぁ。
その後…幼なじみの友達と 夜9時から寿司屋。私は 彼と会ったとき もう満腹で食べれない状態も…彼が夕食を取ってないことは知っていたので 飲みながらつまむよ!と言いながら行った寿司屋さん。
が…満席。そこで ここのオーナーがやっているイタリアンレストランに行き…食べたぁ!!
ところが…この後 寿司屋にも顔を出すという。いくら食べるのが好きな私でも もう無理!!ということで
知り合いのお店で 一杯 二杯で数時間。そして 真夜中!!行った先は 最初の寿司屋さん。もう無理だぁ!!勝手に食べてね。と言いながらも…私が食べたお寿司…数知れず(笑)。
そして タクシーで帰る途中 鳴リ出した彼の携帯!!
そう 奥さんから(笑)!!そりゃそうだぁ だって もうすでに夜中2時前!
でも 彼女…何を心配したかと言うと…体調不良の彼がまた 私と別れた後に一人でのみに行くのでは??と!!
そう!彼って 昔からかなりの呑み助さん。
この行きつけの寿司屋さんも いつも飲み終わった夜中2時や3時にまたきていると…。

この呑み助さんの奥様がいった名言がある。
それは むかし 夜中2時ごろに帰ってきた彼に「あれっ!今日早いやん。」って!!
私は これを聞いたとき 大笑いだった!
だって 私は彼の奥さんとも 昔からの大の仲良し!
昔は みんなでよく飲んだよね!!
あっ このだんな様…奥さんに 2時に帰って早い!と言われたときには 
もっかい出ていかんとあかんのかなぁとびっくりした!と 言ってたけど・・・その発想も!!(笑)。

そんななつかしいことを思い出しながら 飲んでた昨日。
そして そんな名言を言った肝っ玉奥様は 2人目妊娠中とかわいい姫のため お家で留守番だったけど・・・。
夜中電話で話しているうちにまた会いたくなったなぁ。この間会ったばっかりなのにネ。

メルボルンにいる友達 アデレードにいる友達…日本の友達…。幼なじみ。
ほんと 友達ってすてきだなぁって 思う!!
いろんな場所に行くたびに会う人々。何よりもすてきな財産。


食べ過ぎた次の日の 一句??
・・・やせたいと願うも お金払って脂肪付け・・・・。

来年も みんなにとってすてきな年になること祈ってます。 LOVE

2005/12/21

医療マネージメント学会

はじめに この学会に参加して 目からうろこ!!だったこと…。
今 多くの病院には “ヒアリハット”というような「“ひやっ”としたときの報告書」がある。
これは ひやっとしたというぐらいの小さな情報を集めることにより 大きな事故やミスを防ごうというものである。しかし 大抵の病院でのこの報告は 報告書的なものではなく始末書になりがちであるということだった。それは 報告の際にあまりにも詳しく書かせる為に 本来の目的からずれていきがちである事を知った。

確かに 私も勤めていたとき書いたことがあるが なんだか自分の落ち度ばかりを書いているようで…書いていて あまり気分のいいものではなかった。じゃぁ その報告書をどのよう変更にすればいいのか!?

病院での報告書には “書くべき項目”の中に When Where Who What Why How の6項目を書くようになっている事が多いが Why & Howについては アセスメントになるので 報告者が想像や主観で書く必要なない。それゆえ これらを報告書から省くこと。また 原因や再発防止策、気づきもしくは振り返りの項目も必要ないものであるということ。これらのことを記載させることにより 報告書ではなく始末書になってしまう。事故分析等は他のもの(責任者や安全管理委員会)のがする役割であり 報告者にはその必要はない。ということだった。

この報告書の目的は 小さな気づきから大きな事故やミスを防ぐというハインリッヒの法則(1946年:重大事故1つの影には 微妙な事故が29 そして障害に至らない事故が300ある)からきているのだった。だから 報告書は始末書ではなく 少しでも多くの気付き(障害に至らない事故)が書かれることにより 事故防止につながるようにすることが大切である。

…言われてみると…なるほど!!でした。


次に…びっくりしたこと。
この学会で まだ “リキャップ時の針刺し事故”の話が出ていたこと。リキャップとは 針を使って注射や採決した後 針をキャップに戻すことを言う。私は この時に起こる針刺し事故が多いため もうすでに禁止になっていると思っていた。オーストラリアでは 注射針すら使う機会が少なくなっていて 医療廃棄物として処理しないといけない針を減らす意味からも入院患者に対してはプラスチックのものを使うことが増えている。針を使う際にも 使用後 針をすぐに廃棄できる小さな容器もいっしょに持っていくのが当たり前である。

この時の発表でもリキャップによる針刺し事故は 1/3以上だといっていた。しかし 彼らはリキャップを中止にするとかではなく発生時間帯に分けて事故の起こりやすい時間帯を出した。というのだ…それが たしか…10時と16時と言う結果であったと思う。でも これ…病院に働いている人なら気がつくはず…この時間帯 点滴の終了時間なのである。そう…針に触る数が多くなればもちろん事故も増える。

なぜ 針刺し事故の話なら 原因が明確になっているリキャップを中止にしないのか…
この発表…私には なんだか納得がいかない話だった。


最後に 怒ったこと…
それは “新人看護師教育”についての発表であった。この総合病院…新人看護師を2年間 3ヶ月ごとに ICU、手術室、循環器病棟、消化器外科というようにオーテーション研修を行ったというのだ。その背景としては 入社時より同一部署に配属されることにより偏った専門性を持ち看護師の育成が不十分であると…。
でもこれって 変!!
専門性とは 特定の分野を極める=偏っているものであるといえるのではないか?それに 今は いかに専門看護師を育てるかが大切である。その理由としては 治療と患者の持つ疾患が複雑になる中 看護者の知識(看護の質)=患者に直接影響してくることであるからだ。その上 慣れたと思えば配属を変えられる…新人看護師の慣れるまでのストレスをどう考えるのか。また この短期オーテーションではストレスや自信がもてないことも予測される…そんな状態の看護師から受けなければいけない看護をどう考えるのか…。確かに 指導者という看護師はついているだろうが…日本のこの労働条件きっとずっと付いているわけではないだろう。

2年もの期間 看護師たちの貴重な時間をとるこのシステムを考えだす。何でもできる看護婦を育てる。この考えに 私は 反対だ。100歩譲って(笑)?3ヶ月ローテンション研修で満遍なく学べたとしても 何でもできる看護師はそんなに簡単に育たないない。今 看護師も専門分野を持ち医者や薬剤師等のいろんな分野の人と スペシャリストとして意見交換することが大切であると考える。そして こんな医療の進みが速く 複雑な合併症を抱えた人が多いからこそ 看護師も専門分野を持ち患者に情報提供そして看護することが必要だと考える。病院に便利な どこにでも配置できる看護師を作るのではなく 患者を中心とした看護環境を考える必要があると思う。

看護の質や医療の質という言葉が たくさん使われていたけども…
それは何をさしているのか?誰のためなのか?
こういう話をすると いつも患者の存在や看護者の労働状況が無視されているように思えて…怒りを感じる。看護者の労働条件は 私が看護師だからいっているだけではなく これこそ看護の質に影響するからだ。 そして それらに影響されるのは いつも患者だ。


いろいろ書いたので…医療関係者でない人にはちょっとピンとこないかもしれないけど…ちょっと 知っていてほしいと思った。
だって だれもが 患者になる可能性があるから… 他人事ではないと言うこと…。
確かに 日本の医療は進んでいるといえる…
だけど 何かが遅れているような気がする。
それが 何なのか…何なんだろうね。
みんなのいろんな意見を聞かせてもらえたら・・・と思ったから いろいろな人と話した。
でも いまもまだ いろんな意見を聞いてみたいと思うので・・
何でもいいので 感じることや思うことあれば 教えてください。
また 参考文献が必要な方はお知らせください。 

もうすぐ クリスマス…すてきな時間をお過ごしください。        

2005/12/16

また でたぁ!!

久しぶりに日記を書こう。
この数週間で本当にいろんなことがありすぎて…楽しいこと うれしいこと 残念なことetc…
時々 何日で何曜日なのかもわからないで目の前にあることだけをひとつずつ処理していた。 なぁんて 私は " 忙しさ" をよく表すけど 考えるてみると ただ 私が何にも気にしてないからわかんないだけかも???(笑)。

さて・・・アデレードを出る前までは ご存知のとおり…
単位が 落ちる落ちないで おろおろし…ばたばたと交渉して帰国準備をした。
のはずが…ほんと オージー (オーストラリア人)! 
昨日急にメールをもらい また!!条件の変更を伝えられた。
そんなこと急に 言われても…わたしゃ 日本です!!って感じだし
彼らも きっと なが~い クリスマス休暇に入っているはず。
はぁ… 私に 何にも心配ないから ゆっくり休め!といったのは だれだぁ!!
って感じですが… ことのはじめは 私のできの悪さですから…くっ…文句のいいようがない(笑)。
さぁ…昨日から また メールメール!
「こんなことなら 帰ってくるんじゃなかったぁ」なぁんて かってなこと思ったり(笑)
で…決めなきゃいけないのは エジプト旅行の中止かなぁ と 悩んでますが…。
きっと 遊んでいる場合じゃないでしょう…。
その暇あれば オーストラリアに帰んなきゃぁ。
後悔しないように…精一杯 やんなきゃね。

ほんと 人生って 穏やかなときが少ないね~。
昨日友達に言われたよ…
「そんだけもめても そんなオージー達と出会っても 
Junkoは オーストラリアが好きなんだね!」って…ほんと…なんなんだろうね(笑)。
日本にいても ストレスだけど 海外に住むって言うのもまた違うストレスがある(笑)。
まぁ そんなこんなも 気が付けば解決していたぁ!というのもまた オーストラリアなんだけどね!

あっ 帰国前に久しぶりによった メルボルン!すてきだったよ!!
写真もたくさんとったけど…日本に帰ってきて 
パソコン変わったら 更新の仕方わからず…また今度(笑)!

あっ もうひとつ・・・ 医療マネージメント学会のことかくのは また 今度に…。
今書くと なんだか自分の思いや怒りだけが表に出て…
私が何をどう違うと思ったのかが きちんとかけそうにないので…
いろんな人と話して ちょっと 頭冷やします。
なんってったって 私・・・イノシシなので…いま 書くとちょっと…えらいことになりそうなので(笑)。

Anyway!!

今日も素敵な1日であること祈ってます!

Junko

2005/12/10

ご無沙汰です・・・

じゃぁん!今 名古屋 
なぜって 昼から医療マネージメント学会に出るため。
一昨日の夜遅くに日本に着き・・・ 昨日は 久しぶりに 肉&カラオケをたのしんだぁ!!
で・・・どたばたとしながらの名古屋入り!!

日記も更新せずに 楽しんだメルボルン!
久しぶりのインドネシアの友達たちとの時間・・・

と・・・いろいろ書きたいことは山ほどですが・・
時間が迫ってきてるので・・・また 今度!!

素敵な1日を!! 

2005/12/02

ふと気が付いた。


今 私は 部屋の荷物の片付けに追われている。
なぜなら 日本に帰る間に家賃を払いたくないから・・・。
ここは 大学の持ち物だから そういう融通が聞くが荷物はすべて 部屋から出して個人ロッカーに入れないといけない。
“結構 荷物があるなぁ”と つくづく思う。

その片付けの合間にパソコンを開いて いろいろプログを見てて・・・
ふと気が付いた。

この前書いた“天国と地獄”・・・
私 あれを書いてるとき “なぁんで いやなことが後でうれしい事が先だったんだの!”って
ちょっと 思ってた。だって ほんとに びっくりしたから。

でも・・・今考えると この順序
もし逆だったら・・・大変なことになっていた。
だって アサイメントの点数見て 動揺してたら きっと 面接でべらべらしゃべってない。
それどこか・・・面接をあきらめてたかも・・・。
その日の朝 なぜ先にそこに行ったのか覚えてない。
フレキシブルに動けたはずなのに・・・アサイメントをとりに行くのを後にした。

この日のことがなかったら・・・
私は この面接してくれたMaster of Healthの教授ともこれだけのやり取りをしなかっただろう。
面接してくれて 終わり。に なってたはずだ。
でも 単位を落としそうになったことにより 彼にメールをして
せっかく面接までしていただいたのに申し訳ない。と言うと・・・
すぐ連絡があり 何度もやり取りを繰り返した 何か道を探す為に・・・。
そして 私のおちたアサイメントを見てくれ「これは採点審議を希望しなさい。」とアドバイスもくださり
最後には「もし君がもう1つ課題を書かないといけなのなら私が指導する。だから 何も心配せず日本に帰りなさい」とまで 言ってくださった。

たった1日の出来事。
でも もしこれの2つの出来事の前後が逆だったら・・・
私は ここまでねばれてなかったかもしれない。

今・・・やっと思える。
私が マスターに行くと決めたことは間違いじゃぁない。
いろいろ迷ったけど・・・道は 続いていた。
神様が 私の浮かれた心にカツを入れてくれたのかも・・・。

すべての出来事に感謝して・・・
おやすみなさい。

2005/11/30

天国と地獄??



今日がいったい何日なんだろう・・・
もう12月なのか どうなのかもわからないぐらい 毎日のスケジュールをこなしてた。
と・・・いっても 送別会=パーティー&パーティ!ですが・・・。

そして・・・昨日。
私は 生まれてまじめて??天国と地獄を1日で味わった。
朝 来年の大学院の教科のひとつにした 医療マネージメントの教授と会ったのだ。
一応 オファーはもらっていたものも・・・面接されるとなると 緊張した。
が・・・この教授!! とっても素敵な紳士。
日本の医療や文化の話に花が咲き!!
「来年 一緒に勉強を楽しもう! きっと君となら私達も教えることを楽しめる」とまで言ってくれた。
そう・・・帰り道は 暑さも忘れて・・・スキップでした。
だって オーストラリアで こんなにスムーズに物事が進むなんて!です。
大抵 新しいことをはじめると 何かが邪魔をする!でも スムーズじゃん!って・・・。

そして その足で友達と最終アサイメント(課題のエッセイ)の結果をとりにナーシングの事務所行った。
そう・・・ここからが 地獄の始まりでした。
アサイメントをもらった私達・・・これ???・・・おとしてる!!
点数が足りない。ちょっとの間 私たちもめてました。
これ落ちてる?落ちてない? 算数・・・久々に真剣にしました。
後のことは 思い出したくもない・・・。

でも 強くなったなぁとおもいます。(いいのか悪いのか???だけど)
その後 冷静に まず 担当講師に電話・・・が 留守電。
メールを送る。いろいろしました。
私 マスター(大学院)にいけない・・・。
それどころか 私達これ落としていると卒業できない?!

後は われながら動くの早かった~。
後ろのなくなった人間って 何でも出来るんですね。
友達の引越しも手伝いながら メールをあちこちに打ち。
その隙を見ては オフィスの主要な人物を捕まえて話した。

その結果 やっと・・・
さっき 大学院は日本の成績表から o.kがでてたので
この学部は関係ないから 心配するなと。
そして 問題の“Critical Thinking”そう 落とした課題は 
講師の採点に対して納得がいかないと 教授にいろいろ説明。
そしたら もう一度採点を審議するとのこと。
さて・・・この結果どうなることやら・・・ですが。

人って いろんなこと経験しながら強くなるんだなぁと思ったなぁ。
泣きもせず・・・わめきもせず・・・
なるようになるさぁ・・・と 
神様はいつも私達の先のことまで考えて 物事を与えてくれている。
決して私の望んでいるものが 与えられなかったとしても
それは 神様の考えと違うから・・・えられなかったである。と・・・神様の導きを信じてた。

でも・・・昨日は よく寝れなったなぁ。
信仰が薄いのか・・・。

日本に完全帰国なら 神様が用意してくれてるのは“結婚じゃない!”なぁんて言ったけど・・・
まだまだそれはなさそうです。

・・・と いろいろありましたが 人生なんの変更もなし!と言うことで 
帰国は予定どうりに12月8日。メルボルンは12月3日入りです!
今日明日と荷物の片付けです・・・。恐ろしい量あるんだけど・・・。

でも 今回も いろいろな講師の先生&教授が 
本当によく動いてくれて・・・助けてくださって 感謝です。

「この国は・・・その人がいたいと思えば ずっといれる。」
ナーシングホームで 老人の方々がおっしゃってた言葉を思い出しました。

やっぱり 何か動くたびに 何か起こる オーストラリアですが・・・
オーストラリアが悪いのか?? 私が悪いのか??
また 少しクリアになってしまったような(笑)。

2005/11/26

終った~

昨日 大学最後の試験が終った。けど・・・なんだかあっけなかった・・・。
オーストラリアにきて いろんな病院を見学していく内に大学に行きたいと思い
勉強し始めたのが 2年前・・・今年大学に入り 終り。
長い休みが多いのと 授業と言うより自分で本や資料を探して
勉強するのが多いいから 余計に学校!に行ってた。って感じがないのかもしれない。
でも たくさん学んだなぁ。そして 自分が何がしたいのか 興味あるのかを 考えさせられた。
これって ある意味よかった。課題を与えるだけでなく 興味ある分野を伸ばせる。
そして 言えば先生達もサポートを惜しまない。これが楽しかった。
だから マスター(大学院)も行こうと思えた。

今日は シェアメイトが出て行った。
ここは大学の寮のようなものだから 12月から2月の夏休みにはほとんど生徒はいなくなる。
私のシェアメイトも エアーズロックの近くの実家に今日帰っていた。

彼女が帰るとき・・・私に残して行ってくれたものがこれ!風船。
これは 彼女の21歳の誕生日に届いたもの!私に届いたのじゃぁないのに これを見たときに キャッキャはしゃいで 「見たことない すごいかわいい!」と 大騒ぎしたのを彼女は覚えてて・・・
彼女が今朝 去るときに 私の部屋に投げ入れてくれた・・・。
来年は違うユニットに移ると言う彼女・・毎年ユニット(家)を変えて友達を作るそうだ。
寂しくなる・・・けど また会えるよね!とってもかわいい風船ありがとう!

あっ このお家・・・うれしいことに ホリデー中自宅に帰ると なんと家賃がいらない!
だから 私が日本に帰る間の3ヶ月家賃要らない!週$130 だからすごい節約です。
でも 部屋の荷物は全部大型ロッカーに入れないといけないからちょっと面倒。
きっと 誰かに短期で貸したりするんだと思う・・・。
ほんといいシステムです。
今日は 今からBBQパーティーに行って・・・のんびりしたら 明日ぐらいから掃除開始です!

あっという間に終った大学。また 後1年半 たのしみだなぁ!
ここに入れることに感謝。
そして 何よりも・・・いつも サポートしてくれる家族 友達に感謝。

2005/11/22

夢・・・

今 ちょうど来年の大学院でどんな科目をとるのかを検討中だ。
看護と言うベースからは離れたくないと思い・・・
看護大学院に 申し込んでいるが 私はそこから ヘルスプロもージョン&マネージメントをとるつもりでいるが・・・これがまた すごい細かく分かれている。プライマリーヘルスケアにヘルスプロモーション・ヘルスマネージメント・ナーシングマネージメントetc・・・。

何がしたいんだろう。と 自分に問いかける。
何をもって帰りたいんだろう??日本に・・・。
いろいろ勉強したい。
でも 年齢も・・・考える。
だって マスターは1年半か2年・・・ということは 私は36歳になる。
う~ん・・・30過ぎてからが すごく早い!!
この1年 1年を大切にしたい。

いろんな人に話を聞いてもったり 聞いたりしながら・・・
自分の考えをまとめる。カウンセリングのようなものを 繰り返しながら・・・
探していきたいと思う。
これから 自分が何をしたいのか・・・
今までの ベースを生かして何が出来るのか・・・。
はぁ・・・
20歳なら・・・迷わず 何をするだろう??
ふと思った 今日この頃でした。

・・・って 金曜日 試験だから 試験準備しないとね!!
夢より 現実を見つめなきゃ!!

2005/11/18

笑いが・・・止まらない!

終ったぁ!!実習が終ったぁ!! 
3月から始まって 今日!!最終日。
日本との違い。いいところ悪いところ・・・いろいろ知った。
はぁ でも今は なんでもいい!!とにかく終ったぁ!













で・・・この写真。
日本では私は見たことがない スタンディングマシーンと言って たたせるときに使う機械です。
患者さんを抱えないでいい為 介護者の腰を痛めないことが一番の利点です。
ベットから これを使ってたってもらい 移動して 車椅子に座らす と言うものです。
ほんとは もうひとつ違ったリフトもあるのですが・・・修理中のため この写真だけです。
ここでは 患者さんの移動に関して介護者と患者両者の安全の為 細かい規則(ポリシー)があります。
また これは 来年 コースを取って勉強しようと思ってるので・・・
おいおいに・・・。
ここでは 患者を抱えない = ノン リフトポリシーは いまや常識です。
日本で 患者を抱えている看護師を思い出すと・・・いろいろ複雑な気分です。

とりあえず 目標達成! 実習終了です!!
あとは来週の 試験だけ!
卒業まで あと・・・数日!!

2005/11/16

インド 3 -教育-


インドに行って 教育の大切さを知った。
人は習わなければ 知らないということを知った。それに気が付いたのは ICUでの患者さんの“深呼吸”を通してだった。
例えば 日本の病院で
「深呼吸してください」というと おそらく99%の人が出来るであろう。
が・・・インドでは ほとんどの人が肩を大きく動かして大きく息をしている。これじゃぁ 肺には空気が入んない。
ここに何の差がある??・・・たぶん教育だろう。
私達日本人は 体育の時間やラジオ体操を通して深呼吸の仕方を学んでいる。
99%の日本人が出来ること=義務教育が万人に与えた知識。
でも インドでは・・・教育を受けれる人はホンの一握り。
私の出会った子供達は青空教室に通ってた。それにも年齢的に限界がある。
収入を農業に頼っている家は 子供も数のうち・・・働くのだった。

じゃぁ・・・そんなこんな経験をしたインドの・・・何がいいのか?!
何がそんなに魅力的なのか。
インドの魅力・・・

私は 週に2回 村の診療所に往診についていった。
どこに行ってもそうだったが・・・インドの子供達はいつも私を家に誘う。
が・・私 都会の子なので「知らない人の家にいかない」と・・・かたくなに思っていた。
しかし 病院のスタッフに「行っておいでよ!」といわれ・・・
「大丈夫かぁ??」と 疑いつつ・・・家にうかがう。
そうすると いつもどこのおうちでも 1杯のチャイとお菓子が少し出る。・・・が
お茶を飲むのは私だけ・・・
「お菓子一緒に食べよ!」と 私が頂いたものを分けようとしても
「あなたは大切なゲストだから!」と私が食べてるのをにこにこしながら見てるだけ。
このチャイ だいだい一杯3円。
彼らの月の収入3000円。天候で収入が減る月もある。
・・・このたった3円のチャイ 彼らには高い。
そう 彼らは飲まないのではなく 飲めないのであった。
私は このことを知らなかったのだ。この事実に気が付いたとき・・・
私は恥ずかしかった。
なぜなら インドにいる間 私はいつも 心に怒りをもっていた。
インドが なぜ変わらないのかと怒ってた。こんなにも 貧しいのに・・・と。
しかし 貧しかったのは 私のほう。
私には 彼らのような 人を心からもてなす気持ちはない。
私は 世界中を行ったり来たり出来る お金も持った。
でも 恥ずかしながら・・・
私には 人として基本的なものがないことを 彼らから教わった。

この写真・・・私はここの診療所に行くのが あまり好きではなかった。
なぜなら ここの村の人はだれもまったく
英語がわからない でも 子供達はずっと 私の周りで何かを訴えてくる。・・・だから 私はここに居続けることがかなり苦しかった。

帰ってきて 写真を焼いて驚いた。
この子供達のまっすぐな目。
カメラを向けた 私に向かって向けられた子供達の目。
私は インドでは気が付かなかった・・・彼らのこの目・・・。
ただ 英語でコミュニケーションが取れない。と・・・
避けたがっていた この診療所の写真が・・・
私にとって最高で忘れらない写真となるとは 知りもしないで・・・。

この写真をいつも 机に飾ってる。
心を忘れそうになったとき・・・欲に走りそうなとき・・・
私は 彼らの純粋でまっすぐな目をみる。
そして また彼らに会いたいと思うのだった。

インドという国・・・貧しいのかもしれない。
でも 彼らにとっては 生まれてきてから そこに育ってきてるから
何も貧しくはない。当たり前の生活なのだ。
この クリスチャンフェローシップ病院を建てた Drタリアン氏が こう言っていた。
「私達は貧しくはない。シンプルな生活をしているのだ」と・・・。

ほかの国を知っているものとして・・・
インドの人々の差に腹が立った。他国との差に苛立ちを感じた。
でも私には わからない
インドが変わることがいいのか 変わらないほうがいいのか・・・。
たった1ヶ月だけしかいなかった私を 家族として受け入れてくれ 
最後には 涙 なみだで 別れを告げたインド。
誰と誰が兄弟なのかわからないぐらい
みんなが強く自然につながっている インド。
そんな素敵なインドだからこそ・・・
インド人がインドを変えることが大切なのではないかと思う この頃だった。

終わり・・・

インド 2 <怒り>

インドに行ったのは 去年の10月。
なのに 書き始めると 昨日のことのように 怒りがこみ上げてくる。
それは 自分と海外に住む教育を受けたインド人に対してだ。
自分に対しては 病院という中で機械を通してしか働けない自分を嫌というほど知ったこと。自分の知識と技術のなさに・・・また・・・
インドで何かできるのでは??と思い上がってた自分に対する怒り。
現地の言葉もわからず何ができる。
(大学以上の教育を受けてない人は英語は話せない)
看護師として??他国のものが入っていって出来ることは知れているということだ。
なぜなら そこに住む人たちには 文化があり宗教があり・・・生活がある。
それを理解し 溶け込むのに 何年必要か。
そこを理解しなければ 結局“援助”という名の自己満足やおせっかいになる。

例えば ICUで 私は忘れられない2人の患者さんがいる。
1人は20歳前の青年。OPE室から運ばれてきたが・・・
下半身はブルーのシーツ(防水シーツ)で覆われていたが まだ多量に出血していた。
私には この状況が理解できなかった。
なぜなら Ope室から運ばれてきて なぜまだ出血している!!何の為のOpeだ!?
しかし この??はこれだけで終わらなかった。
この青年の友達を集めて 輸血し始めたのだ。
もう私は この状況が納得いかず 何が起こってるのか!
出血しているところを止めずに 輸血したって 無駄だ。何を考えているのか?!
それに 友達達の栄養状態だって決して良いわけではない。
彼らにとっても 大切なものなのだ。それなのに 無駄に輸血しようとしている。・・・
この青年 バスに跳ねられて運ばれてきたのだった。
Drは 腰の骨が砕けててどうしようも止血できないと説明してくれた。
が・・・納得いかない。
この輸血のルートを取るのもそう・・・これだけ出血してる患者だと末梢の血管を確保することは難しい。日本ならすぐに 股関節や鎖骨下にある 大きな静脈にルートを確保できる。が・・・ここではできない。
Drは 腕の中関節から 大きな静脈を探るつもりで 皮膚剥離を始めた。
私は 透析室勤務で何度も静脈と動脈をつなげるopeをみたことあるから 
Drが何をしてるかわかってた。が・・・どう見ても Drが触っているのは“腱”だった。
静脈ではない。そこに輸血のルートを直接取ろうとする。が もちろん無理だ。
・・・私は 怒り寸前だった。「何やってんだぁ」・・・
すると外科のDrが来て 「それは違う」と伝えていった。
・・・この夜中に運ばれてきた青年は 明け方になくなった。・・・

もう一人の患者さんは 50歳ぐらいの男性で大腿骨を骨折してOPEするも 
帰宅後創部から感染を起こし・・・私が見たときには 傷は完全に開き 太ももの骨が見えていた。彼は 循環不全から 手足はむくみ 痛みを訴えていた。が・・・
この患者さんへの看護・・・ガーゼ交換のみ。
動けない為 尿道に管が入っていて おしっこがボトルにたまると 家族が捨てに行く。
そう・・・ここの病院では 必ず家族が1人付き添って患者の身の回りのことをする。
というか・・・インドの人たちは親族のつながりが強く
1人が入院すると親戚中が病院に来る。面会時間以外は 窓からのぞいている。
(仕事を持っていない人が多いことも関係あるかもしれない。)
さて・・・この患者さん・・・私が一番忘れられない人である。
なぜなら 私達は同じ言葉を持たなかったから コミュミケーションは取れない。
でも 私が手をさすったり 背中をさすったりすると・・・いつも 目に涙をためる。
そして 私に手を合わせる・・・何も出来ない私に・・・。
ただ・・・私は この時インドの患者さんのおかれている状況を少し理解し始めていた。
病気になって 生きることが どれだけインドの中で 家族の負担になるか。
みんな日々生きていくことで精一杯なのに・・・まだ 病院の費用がかかる。
家族の中には 治療を拒否して連れて帰る人もいたぐらいだ。

それ以外にも カースト制度が 影響しているのか・・・
看護師を見ていると 患者さんや家族に本当によく怒る。感情的に・・・。
と・・・看護が見えない。この場所で・・・。
だから 私が患者さんのところに 手を握りに行くと
インドの看護師さんたちは 「淳子は なぜ患者さんがすきなの?」と聞くのだ。
わたしは???これって「好きとか嫌いのもんだい?!」でした。
私は 何も出来ない自分を知ったから 自分に出来ることを何か探したかっただけ。
なんでもいい 何か 看護師として教育を受けてきた中で 使えるものはないか・・・。
それが ゆっくり患者さんのところで時間を使うことだった。
たとえ 言葉が通じなくても・・・。
でも これも結局 自己満足である。
なぜなら 私は患者から何の情報も得られずに自分の情報と価値観だけで動いたから。
でも 看護師として 処置以外の何か看護が見えてもいいはずなのに・・・
・・・私には よくわからなかった インドの看護が・・・。

ここに書いた たった2人の患者の例でも・・・日本でなら助かっている命かもしれない。
日本の医療をもってすれば あっという間に治ったかもしれない。
でも それでいいのか??
本当の 医療とは?? 医療の意味を考えさせられた。

私は この時たまたま 同じ病院にきてた 1人の日本人医学生とよく話した。
何がこんなにも すべてに違いを生むのかと・・・。
そして その時彼がいった・・・「医療は 地域が作り出すものなのかも・・・」
この一言が 今も私の脳裏に残ってる。

そして オーストラリアに帰ってきて・・・
私は たくさんのインド人にあった。そして 聞いた。
「国に帰らないのか?」と・・・なぜなら 彼らはDrであったり 看護師であったり・・・
そうでなくても ここにこれるインド人は インドではものすごいお金持ちであるのは間違いないからである。=国を動かせるぐらいの教育とコネクションは持ってるはずだ。でも・・・誰一人として 帰るといった人はいない。友達を通して1人だけ・・・インドに帰るといった人がいるようだ。と聞いただけ。

私は この国に行って・・・
カースト制度をはじめ 残っている文化 そこにある宗教・言語・習慣
そして 人々の暮らしを 本当に理解できないと 持っていたものが
そこに必要となり生きることは難しい。なぜなら そこに住む人たちが使い
そこで生きていくのは 私達でなく彼らなのだから・・・。

私は このインドの旅行を通してだした答えがひとつある。
それは インドはインド人によって変えられていくべきである。ということだった。
そこに 何か 私達がサポートできる道はあるかもしれない。
でも 本当に インドが変わるのは インド人によってである。
今 なぜ あの病院を 1人で建てたDrタリアン氏が 
「インドはインド人の手によって」といってたのかが・・・わかる。

これと同じように・・・日本を変えるのは 日本人がする。
外で教育を受けたものは それを日本にもって帰る。
これが 海外で教育を受けるチャンスを与えてもらった私達のすることのような気がする・・・
私は これから・・・私が今の自分を使って何を積み上げられるのか・・・
そして 何をもって帰れるのか・・・自分に問い続けたいと思う。

追伸
さっき インド1を書いてから・・・
ホンと興奮して 寝れなかった・・・で・・・もうすでに 2を書いた(笑)。
インドは それほど魅力的な深い国です。人が ものが すべてが・・・何かを教えてくれる国。
大好きな国 インドです。このタイトル きっと 3も すらすら 書けます(笑)。

2005/11/15

インド 1


いつか まとめようと思いながら・・・そのままになってたインド旅行。みんなにも写真を見せるといいながら・・・そのままになってた。

去年 インドの病院に1ヶ月滞在した。
ひょんなことに このきっかけとなったのは 英語の試験だった。思うように点が取れず それに やる気も落ちてきていることに気が付き・・・このままでは だめだぁ。と思い・・・日本に帰らずに 何かできないかと考えて行ったのが インドの病院。
もともとインドやアフリカでの看護に興味があり英語を学びに来たのがオーストラリア。
まぁ こんなにもオーストラリア滞在が長くなっているが・・・

オーストラリアからの一人旅・・・。
オーストラリアで出会った インド人の友達にも1人旅はだめ!と止められながらも・・・決心したこの旅。きっと 一生忘れない。いろんなことを学んだ 旅でした。

まず・・・インドに行く途中・・・
インド航空の機内で出会った貿易関係の仕事をしているというOZに
「女性の一人旅は インドでは危ないから 僕が目的地まで 車で送ってあげる!」と 
優しい言葉をもらうも・・・ふと「この人が一番危ないかも・・・」と感じ どうするか迷った。
でも 結局 彼と私の行く方向はまったく逆の為 彼は私のために空港でタクシーを手配してくれた。そして くれぐれも気をつけるようにと・・・言ってくれた。が・・・
私は インドの空港に降り立ったその瞬間・・・もうすでに オーストラリアではなく
“日本”に帰りたいと思っていた。それは 想像を超えるインドの空港・・・。
いろんな国に行くと 空港に降りたらその国が大体わかる・・・が この空港・・・
人が怖かった・・・見る見るみんな 私を見る。
そうもうすでに私は どうやったら明日帰れるかと・・・飛行機のチケット変更を真剣に考えてた。

そんな思いを持ったまま着いた病院・・・そして 誰も私の到着日を知らない。
それどころか 私がくることすら知らされてない。
私は 何ヶ月も前から 院長先生とコンタクトを取っていたし
彼は 何の心配も要らないから 受付にその日に着たら君を案内すると言っていた・・・。でも これが インド流。
O.K!o.k!でも 何も進んでない。何も準備されてない。でも 来る者は拒まない。
そう・・・私は 病院内にあるゲストルームと呼ばれる部屋に案内され・・・
そこで 1ヶ月を過ごした。でもこの部屋・・・はじめの2日間夜中に何度も目が覚めた。
きっと 怖かったんだろうと思う。
この写真が・・・ゲストルームのトイレ&バスルーム!!

そのドラム缶に1日2回水をためる。朝の6時と夕方4時。これを忘れると私は 手桶シャワーもできないし・・・もちろん トイレも! 水道をひねれば出る “水”があんなにもすばらしいとは ここにくるまで知らなかった。

この1ヶ月を病院のICUと分娩室でほとんど過ごした。
・・・というか・・・ラジオもテレビもない為=娯楽はない
だから 私は夕食後はほとんど分娩室で過ごしていたかった。
夜中はなぜだか 分娩が多かったから!


いつも 狭い分娩室は一杯!ここでは 1日10人以上の新生児が生まれた。
でも 生まれた赤ちゃんは 台の上にほりっ放し・・・。そのあと 赤ちゃんは おばぁさんに手渡される(大体が産婦の母親)。そして おばぁさんは外にいる親類に見せに行く。が・・・この外は・・・土ぼこり。そう・・・生命力というものを私はここで何度も感じた。日本のように 新生児室もなく・・・生まれてすぐ 外に行き おばぁさんに抱かれている赤ちゃん。命って 何だろう。何が生死を決めるのだろう・・・。そんな 言葉がずっと頭にあった。この分娩室で・・・。

インドを旅して・・・いろんなことを感じた。
こんな国があるとは・・・想像以上の 日々はここで1ヶ月続いた。

・・・あっ 続きは また 明日。

あっ ちなみに 飛行機であったOZは とっても親切な人だったらしく・・・
この病院にまで 電話をかけて私が到着したかを確認してくれてたのです!!
でも 私・・・彼の連絡先すら聞いてなくて・・・お礼も言えず・・・そのままです。

2005/11/13

外泊!!

アデレードに来て 初めてこのアデレードを車でたくさんドライブした。
アサイメントも無事に終わり!!やったぁ!!と 
25日のテストに向けて 一休み。

この外出は まるで“刑務所”からでる人のようだぁ!!と友達と大笑いした。
だって 私も友達も ここにきて もう9ヶ月以上・・・でも 
何も知らない。cityすら案内できない。道も知らない。
だた・・・知っているのは 大学内のみ・・・。
そう 私達は ここにきてから 外の空気を吸ったことがない!!
あっ・・・グレネルグはちょっとわかるよ!!(前にみんなで泊まったホテル!!)

そう 土曜日は お外の空気を吸いに!リフレッシュ!!
ショッピングにもいった~!!ランチも外でたべたぁ!!
といっても・・・内容はどこに行っても代わり映えしないオーストラリア。

そして 友達のホームステイハウスに!!
これがすごっく素敵なおうち!!
プールにバーに シアターroom!!



パパとママはPartyに出かけて なんとそのまま外泊!
そう 私達は 朝まで うだうだ ペチャクチャ 話した。飲んだ。
あっ 私は2杯だけ。友達・・・数えられないぐらい飲んでた・・・。
はい。また 朝の4時だったかなぁ??3時だったのかなぁ??


久しぶりだから こんなに楽しいのかなぁ!
すごっく 遊んだぁ!!食べた。買い物した!!

でも・・・みんなあと少しでお別れです。
ここにいると どんなに仲良くなっても・・・
必ずいつか“バイバイ”いわなきゃいけなくなるから・・・
それが寂しく・・・つらい。
離したくない・・・大切な友達。

結婚・恋愛・仕事いろいろゆれる お年頃だけど・・・
・・・祈ってる。・・・
すべてが いい方向に 向かうことを!!
信じてる。みんなが いつも輝いていられることを!
祈ってます。
心から・・・みんなに 素敵な日々が続くことを!!
そして 私もここで頑張るよ。
勉強を捨てて??人生すべてを変更してでも 歩いていきたい人ができる その日が来るまで!!(笑)

2005/11/09

ちょこっとの幸せ。

さぁ・・・あせりだして アサイメントを仕上げよう。・・・と
残りのものに昨日の夜から取り掛かる。結局 昨日寝たのは朝3時。
というのも集中力がおかしくなってた。何を書いてるのかわからない。
・・・で 朝おきて見直すことにした。今朝9時おき。
何が問題って 6時間睡眠なんて私には少なすぎる!!けど・・・
昼から実習だから 時間がない。・・・で 実習にも行った。

こういう時期 日本では味わったことないようなストレスがある。
なぜなら 日本語だとどうにでも広げて書けるものが 
英語ではどうにもこうにも・・・埋まらなくなるからだ。

さて やっと 今日のタイトル。“ちょこっとの幸せ”。
何がって!?
実習の帰り道・・・コーラが飲みたくなった。
日本では飲みたいと思わなかったコーラだけど気候のせいかここではホンとよく飲む。
そして お財布をさぐると たくさんの小銭!!と 1枚のお札。
そう この小銭が$2ないと 自宅近くのコーラは買えない。
だって 自販機なんだもん。
・・・で 数えた。20セントコイン×8枚 10セント×2枚 
5セント!さぁ この小さなコインが何枚あるかが問題だぁ・・・と
夜道で 数えた。・・・・!!あったぁ!!合計$2!!
でも 油断できないのが オーストラリア。
お金を入れても コーラが出てこないことがある。けっても無駄です(笑)。
そう 手にするまで 油断できない・・・で “一枚 2枚・・・”
・・・・ゲット!!した。
うれしさ一杯で 帰ってきたら・・・
部屋の前に 紙袋。???? 
見てみると おかしだぁ!!
この際 差出人なんて気にしない!よろこんだぁ。
また ちょこっとの幸せ ゲット!
あっ これは テストや課題のストレスをちょっとでも和らげるようにと
このお家を管理してる人達がくれたものでした。

そう 今日はこのちょこっとの幸せがなんだか妙にうれしい。

・・・これって・・・
もうすでに かなりのストレスがたまっているのかも・・・
だから わたし 今日 ちょっとおかしいのかもしれない。
・・・と ふと思った・・・今でした。

明日は5時半に起きて実習だぁ。
でも もうすぐ卒業!!終わる日まであと3週間?・・ないや16日!!

2005/11/07

やっちゃった?(2)

この週末お家でパソコン使えず・・・理由はお金を払ってないから。
家は大学内にあり ここのインターネットは使った分だけお金が引き落とされる。
で・・・お金切れ。それも事務所が休みの金曜の夜から・・・。
ネットがないとこんなにも不便とは・・・で “海猿”を見てた。と言うわけです。
昨日は 大学の図書館へ行き日記の更新をしたけど・・・
更新できず・・「“原因不明”新しいプログを書いても自動的にいかない・・・」と
古いプログに張ってみた。・・・が 実のところちゃんと 更新されていたのだ。
でもね!!私が見た時 この古いプログすら変更されてなく???だった。
で・・・帰って ユニットに住む友達にプログ見てもらったら・・・
「更新されてるよ!」はぁ???でした。
コンピューターって ほんとわかんない。
短気な私が悪いのか・・・複雑すぎるコンピューターが悪いのか・・・
答えは明白だった。また この性格が・・・ミスを生む(笑)。

土曜日!アサイメントやテストのストレス??で 
「一杯だけ飲もう!!」と 夜11時から家で友達とワインを飲んだ。
ベランダから見える夜景(昼間は海まで見えるんだよ)に幸せを感じながら・・・
今 私のシェアメイト達も同じようにアサイメントやテストを抱えている。
だから 気分転換?!に・・・のみはしないが一緒に座って話し込んでいく。
これを繰り返してた。そうなんです・・・
私のシェアメイトは入れ替わり立ち代りベランダに出てきて
私達と話す。そして 私の友達も付き合ってくれる。
・・・ワインが減っていく。・・・・
私は同じ話をしだしたぁ。・・・はい 朝の4時。
昨日1日久しぶりに 二日酔い・・・ってもんじゃない。つらかった。
でも 何よりも 酔ってないシェアメイト相手に 延々としゃべりつつけてた私・・・
昼起きると みんな私を見て すご~い笑顔・・・
「いいお酒だったでしょ!」「気分はどう?!」
「なかなか部屋に帰してくれなかったよ JUNKO」などなど・・・
・・・そうだよね。
昨日に限って みんな酔ってないんだもん。
はぁ・・・はずかし。なに しゃべってたんだろう・・・

2005/11/06

涙 涙・・・

久しぶりにタオルが放せなかった ドラマ「海猿」。
http://wwwz.fujitv.co.jp/umizaru/index.html
あつ~い男の物語+恋愛。
よかった。
何がってね~ あのプリッとした“おしり”に“筋肉”。
う~ん。・・・あっ じゃなかった(笑)。

ドラマをみて ちょっと 考えた。
何で自分がこの仕事につきたいと思ったのかを・・・。
いろんな欲がでたり いろんな色にふれて ころころ変わっていったり悩んだり。
でも・・・なんだったんだろう?「看護婦になりたい。」っと思ったのは・・・。
これから・・・もし 迷ったり悩んだりしたら・・・そこに戻ればいいんじゃないかなぁ・・・
始まった場所に・・・と このドラマを見て感じた。
生きてるといろんなことが起こったり 刺激されたり 自信なくしたり・・・。
でも 初めときの純粋な思いを忘れないこと・・・
これが 人として 素敵な仕事につながるような気がする。
経験したこと失敗したことは 消せないし 消す必要はないと思う。
回り道や経験は 貴重な宝だから・・・。
けど・・・迷ったとき 悩んだとき・・・
もう一度 スタートの気持ちにを 想いだしてみること・・・
大切なのかも・・・と “海猿”を見て思った。
友達が「わくわくする」って言葉がキーワードだよ。って 言っていた。
そうかもしれない・・・始めようとしたときの“わくわく”。
純粋な気持ち。
そういうものを忘れずに仕事 できたらいいなぁと思った。

このドラマ・・・男ってかっこいい~!!と 言いたくなるドラマです。
なぜって 仕事に 人にまっすぐで ちょっと不器用で・・・愛する人を守る男達。
サブタイトルも“信じることで 愛することで 極限の世界で戦える”。ふぁ~!
これを見たあと友達は 「海猿 捜さなきゃぁ。」と・・・
海上保安庁のホームページをチェックしたそうな・・・。
そして 私は 漁師さんがいい!と 離島看護派遣に登録・・・な わけない。

・・・でもさぁ・・・女でよかったよね~。
だってさぁ・・・“亭主は留守で元気がいい。”と 言いながら 
旦那様の稼いだお金で美味しいランチを食べられるんだもんね。男の人が命はってる間。
注:ドラマの女性は決してこのような事は言っていませんでした。
  だって おしりぷりぷりの伊藤英明だもん。そら~そばにいてほしいでしょ(笑)。
 

2005/11/04

ねれない・・・

寝る前に ビールを飲んで寝たのに 寝付けない。
あれから もう3時間・・・
いつもならあきらめるけど・・・今日は 寝たい!
なぜなら 明日は5時半おき。
なのに・・・仕方がない・・・
もう少し飲んで 寝よう・・
でも もう結構ほろ酔いなんだけどなぁ・・・
タイピイングしにくいもん。

ちょっと前までは 11時にはぐっすり寝てたのになぁ・・・
やっぱり???日本に帰ったら 何しようばかり考えるから・・寝付けない??
寝付くって こんな字でいいのかなぁ???
わかんないやぁ・・・まっ いいっか。

おやすみなさい。

2005/11/03

やっちゃった。

はぁ・・・また やってしまた。
今日 バチッとユニホーム着て家をでて 走った。
なぜなら 病院に着くのが時間ぎりぎりになりそうだったから・・・
家から病院まで 徒歩10分。(cityはあんなに遠いのに・・・)
で・・・走った・・・が・・・走りにくい。
・・・気が付いた。「あっ スリッパのまま出てきた」。
あ~ やっちゃった。もちろん お家に帰って履き替えました。

・・・病院から帰ってきて・・・鍵を探した。
・・・ない・・・また やっちゃった。
夕方5時までなら 事務所が開いている。
それ以降は 各ユニットにいるコーディネーターに連絡して
かぎを持ってきてもらわないといけない。
でももう 夜10時なのでシェアメイトがいるはずだ!!
・・・ドアをたたく!!「あれ Junko かぎ忘れたの??」とあけてくれた。
でも・・・自分の部屋に入れない。なぜなら・・・ 
私はいつも部屋の鍵も閉めるから というかオートロック。
そう 困った。部屋に入れない。
ただ私・・・前科もので・・今までにこれやったの数回・・。
でも どれもよく探すと 鍵は 鞄の中にあったり・・・
キッチンのテーブルに 置いてあったりする。
そこで その経験から でる前に何をしたか・・・考えた。
が・・・今日ばたばたしてため・・・よくわからない・・・スリッパが見えた。
「あれ?私ここで 急いで靴履き替えて スリッパそのままにしてで出たんだぁ。」
で・・・靴箱を開けると・・・鍵。
はぁ・・・自分で自分のどんくささに驚いた。

昨日も・・・
昼に病院で ロッカーで「あっ お弁当がない」で みんな「えっ!!」
でも 私まぁいっか きっと朝の人が間違えてもって帰ったんだと思う。と
夜ご飯を病院の売店で買った。
で・・・家に帰ってきたら・・・
部屋の机の上に・・・お弁当箱。
・・・うそでしょ??? 持ってってなかったんだぁ。

ここのところ・・・疲れてるのかしら??
それとも これは私の性格なのか・・・
でもさぁ・・・これでもあのバタバタしてる
透析室できちんと仕事こなしてたんだけど・・・と・・・
思ってるのは 自分だけなのか??・・・不安に思うこのごろ。
私・・・ちゃんと看護師に戻れるのかなぁ???
う~ん どっちかっていうと 私は家族の幸せを考えたり 
子供の世話をしたり・・・の“専業主婦”の方がいい!!なぁんてね。

2005/11/01

夢中!!

私が今夢中になっているもの・・・
Takeさんのプログ!
http://ameblo.jp/sommelier-buyer-take/archive-200510.html
なぜって?? 食べ物がいっぱい!! これが 中途半端なものじゃない!
プロです!! あっ・・・そうでした。Takeさんは プロです!
ソムリエバイヤーさんなのです!

オーストラリアにいると ほんと食べ物に変化がない。
季節のせいもあるのかも・・・日本には四季があるから
栗!銀杏。秋刀魚に ぶりに・・・鍋に そうめん・・・
うなぎに あわびに 鮎!ほっけ。
あっ・・・なんて ゆうんだった どじょう鍋!?
川??柳じゃぁないし・・わすれた!はぁ・・・食べないと名前すら出てこない。
日本にいるときゃぁ 肉食だった私が・・・ここで思い出すのが 魚とは・・・
ほんと魚にうえてます。

しってます??
オーストラリアでは いっぱいシーフードが取れるはずなのにシーフードが高い!
注:日本に比べるととっても安いが 肉や野菜に比べると断然高い。
これは日本に輸出しはじめたことが影響してるそうですよ。
たしかに 日本に輸出してる量はすごいだろうね。

あっ 話は Takeさんに戻って・・・一度見てみてください。
私はこの数日 このプログから離れられず・・・
いやしんぼうの私は・・・これらの品を一つでも多く食べるためメモを取りつつ
日本に帰る日を楽しみにしてるのです!!

・・・ただ 彼のページに行くと
また 私のドジをお目にかけることになるかも・・・
ほんとにね・・・。周りの友達は気が付いてるようなんだけど・・・
私って 結構ドンくさいの?!
私・・・それを友達からいわれるまでは
“う~ん 私って何をやらせても 段取りいいし完璧!”って思ってた。
けど・・・「はぁ?それは違う!」とみんなに指摘され・・・
気が付いた自分の多くのドジ。。。。
まぁいっか それも 私ですから・・・(おっ 開き直りです)

あっ ちなみに今日は “メルボルンカップday”だよ!
オーストラリアで最大の競馬の日!!
ここでは 競馬場に行くときは みんな最高におしゃれしてきますよ!!
すっごい素敵な日です!!

2005/10/28

満足!!

あまりの課題の多さに「当分の間は 冷凍食品で生活」と思ってたのもつかの間。
買出しに行ってきた。
そう・・・ここでは買い出しって言葉がほんとぴったり。
だってショッピングセンターまでバスで15分。cityまでは40分。
そのバスも平日で1時間に2本最終夜7時。日曜はここまで走ってない!!
ほんと トラムや電車のあるメルボルンと比べると ここは車がないととっても不便。
だから この間はあきらめていた。「今週は買い物いけない。」と・・・
でも変更!なぜなら ストレス!?課題?実習?ただの言い訳??
なんでもいい!!
私は 本当に食べることがすき!そしてこる。だから
食べることぐらい あきらめないでおこう!!と・・・
買出しにでた。お目当ては パブロヴァ(オーストラリアの卵白ケーキ)!!
もちろん時間がないからバス2時間往復チケットを使い 2時間以内で帰ってきた。
でも 満足!!
果物もいっぱい買った。マンゴーも奮発して買った!!$2(140円)
で・・・皆さんにお披露目です。

全部食べてしまう前に・・・写真を。
オーストラリアにきて 本当にケーキとかチョコとかをよく食べる。
日本ではあんこ派だったから チョコなんて食べなかったのに・・・。
もちろん 今も手元には日本から持ってきた羊羹がいっぱいある。でもこれを食べたいとは思わず・・・
ついつい パフロヴァに。
フルーツには 生クリームをかけて ヨーグルトと!!
ここは 生クリーム200mlが$1(70円)以下でかえる。
さすが 牛の国!!

じゃぁ・・・食べ物に満足したから
しなきゃいけないことに取り掛かります。
「食べないの??」って?? 
もちろん 食べた!だから これが落ち着いてかけるのです(笑)。

P.S パブロヴァは まぁるいパックに入ってる分です。
   光っているのは濃厚な1パックチーズケーキ!!
   ちなみに パブロヴァは2個買ったけど・・帰ってきてすぐ1個食べました(笑)。

2005/10/26

阪神・・・

負けたようで・・・。
Yahooで 速報を追いながらネットサーフィンしてました。
しかたないね。来年だね!
来年は 野球日本で見れるのかなぁ??
ここのところ ほんと先が見えない生活してるから・・・
来年のことなんてわかんない!

というか・・・
来月上旬に迫ってるアサイメント(課題)2個とプレゼン・・・
それをさばくのばさきだぁ。
今週は 5日間の実習におわれ・・・ろくにご飯も作れてない。
あの バターライスを解凍しては食べていた・・・が
もうないから 明日から土曜までは野菜サラダと冷凍食品で・・・
看護師の癖してね(笑)。

今日は 透析室での実習。
楽しかった・・・
こっちは 透析看護師ってスペシャリストだから 
ほとんどの人が大学の透析看護コースを半年以上終えてきてる。
これって本当にいいことだと思う。
だって 患者さんに情報を説明するのに
看護師がわかんないんじゃぁね。かなり問題!

透析方法はあまり変わらないけど・・・
日本は感染予防のため滅菌&消毒を無意味にやりすぎてるような感じがする。
こっちではきちんとリサーチに基づいて どこまで消毒が必要かとかを 
ちゃんと説明できるようになっている。
オーストラリアから比べると 日本は滅菌&消毒が桁外れに丁寧すぎる。
まぁ・・日本の滅菌&消毒は保険点数に反映しないから
患者の負担にならない。とはいえ・・・
ならない分 病院の負担になる・・・すると
医者さんはこういう細かいものを点数で取れない分
ほかの点数ところで点数がきちん?と必要になる。
だから??保険点数と薬価点数は いくら景気が毎年悪くてもあがってる。
厚生省のホームページや国会の議事録をたどっていくとよくわかる。
ちなみに 主に大学病院などに配分されている科学医療研究費なんて
毎年 すごい桁の(合計数兆円!)費用が分配されている。
健康保険制度崩壊論が出てる中 なんとなくこれらの計上が腑に落ちない。のは 私だけ??
Anyway...
看護の違い!!や医療の違い・・・
文化や気候の差があるにしても・・・
これは きっと 調べると面白いんだろうなぁとおもう。

では・・・週末を楽しみに!!今週もあと少し 乗り切るぞぉ!!

2005/10/23

信じてます。

えっ!!びっくり・・・
日本シリーズって もう始まってんの!?
なぁんで 教えてくれないの??って・・・
毎日 インターネットであっちこっち飛んでたのに・・・
なぁんで 気が付かなかったのかと・・・不思議に思う。

それにしても 阪神!!
どうなってるの??
2日とも10対0??これほんと??
私の見間違い??

はぁ・・・。
でも大丈夫。出だしは悪いほうが盛り上がる!
火曜日からは 甲子園!!

ぱぁっ~と 日本1になってしまいましょ!!

ほぉ・・・ビール片手に野球をみたい!
甲子園が懐かしい。

1があれば2もある?!

・・・はずですよね。
そう 昨日のタイトル 看護実習(1)。
これなら いっぱいかけると思い “1”とした・・・が
1で終わり。
早い心変わりでしょ(笑)。
だって あんまり書いてて面白くない。
なんだかね。

やっぱり 愛とか恋とか 何とかのほうが面白い!!から・・・。
でも・・・これもそんなに書くネタがあるわけでなく・・・
日々は過ぎていく。

で・・・料理の話!!(なんでやねん!と・・・聞こえてくるけど・・・気にしない)
今日は バターライスを作った。
これ結構いけた・・・よね。
そう えびにチキン・人参・たまネギ・・・カシュナッツ・・・いろいろいれた。
ちゃんとご飯も バターライスらしく黄色く炊けた。
鍋で炊いたので ちょっと 上のほうはしんがあったけど・・・
混ぜれば O.K!!
何がおもしろいって・・・
ご飯を硬いまま フライパンで炒めるとき
なんだかいつもと違うから 楽しかった。
そして 食べてくれる友達がいると思うと
また 作っていても楽しい!!
まぁ・・・彼女は 私が前に作った煮込み“半生”ハンバーグに対しても
あったかく冷静に対処してくれたやさしい人ですが・・・
あっ 私・・・ハンバーグは作らないほうがいいのかもしれない。

で・・・ちょっと 写真をのっけてみた。
今度は何を作ろうかなぁ・・・
あっ 明日は友達がJapanese sweet food collectionを大学で開く日だ。
う~ん 楽しみ!!



明日も素敵な1日を!

2005/10/21

看護実習(1)

日本で看護師になって透析室で働いて ここにきた。
今年 大学編入して看護実習も始まった・・・が
この実習 日本とぜんぜん違う。
なにが??すべて!!
学生は 職員の1員のようである。
そう・・・働くのです。
確かに 薬を渡すとき 注射をするときetcは 必ず看護師と一緒ですが・・・
朝 申し送りを聞いて 患者の1日を把握して計画する。
そして 私は 1日働く・・・。
ここは 日本より受け持ち患者数は 少なく看護師1人に対して患者4人。
2人の看護師が8人を受け持って 助け合う。
が・・・学生が 2人いると 彼らの仕事は???
責任を持つだけ??
でも 時々不思議に思う。
学生は慣れてないから 薬の時間を見落としたりする。
すると・・・看護師が 「忘れてたじゃない」と 学生に言う。
が・・・これって 学生の責任なのか??
ましてや 仕事の経験がないオーストラリアの看護学生も扱いは同じ。
仕事の経験がある私ですら 戸惑うことしばしば・・・
なぜなら 看護って 時間に沿ってできるときもあれば 
当たり前ながら・・・全然できないときもある。
それは やっぱり人が相手だから と 状況が変わるから・・・。
それで Drの変更した 投薬を見落としていたり・・・
でもそれって 学生を当てにせず 看護師がちゃんと見なきゃいけないんじゃないの??
って私はこの光景を見るたびに思う。
注)すべてのナースが同じではない。

確かに この実習システムは ある意味 いいかもしれない。
なぜなら 日本より実践的だから!!
日本では 患者さんと話 カルテを読み 看護の計画を考え・・・
で??薬は 何時に飲んで どんな色形なのか・・・
どうやって 抗生剤を溶かして注入するのか??
薬を どうやって患者に渡してるのか??は 習わない。
だから 「卒業後すぐのナースは使えない。」と いわれる。
でも ここは 3年になると自分の行きたい部署を希望でき
そして どんな看護師としてスペシャリストになりたいのか考え始める。
内科なのか 外科なのか・・・
そう 日本のように あっちこっちの科に 飛ばされないのである。
これって 「大事かも!」って思った。
なぜなら これが私の専門分野です。といものを 看護師も持つべきだと思うから。
病院に入り・・・外科を希望するも 内科へ そして数年後には 整形に飛ばされ・・と。
なんでも パーフェクトにできるのがいいのではなく
もっと 臨床でも専門的に。(今 専門看護師とかできてるけど・・・すごく狭き門)
だって 実際 どの科でもパーフェクトなんて医者でも無理。

そして 驚いたのが 多くのナースは 継続的に何かを勉強している。
というか・・・できるシステムが整っている。
そして 私の行ってる病院では 10年たって何も取得してないと
お給料はそこから上がらない。
勉強場所は ほとんどが大学で・・・卒業後もパートタイム学生で勉強する。
期間もいろいろだし 専門分野などにも分かれてちゃんと講座で設けられている。
そして 授業料も 勤務体制も 病院がサポートしてくれる。
ここにくるまで知らなかった・・・こんな世界。
これがもし 日本なら・・・勉強したけりゃ 仕事やめるしかない。
仕事やめたら 無収入・・・。これじゃぁ だれも継続学習できない。
でも どんどん医の世界は変わっていく・・・。

看護って・・・
こんなんにも きちんと社会的役割や意識を持たなきゃいけないと思わなかった。
そして 一人の人として権利を主張するが勉強もする。
そして 勉強するから 看護にも深みや面白みが出る。
勉強しなければ これは看護の質にかかわってくる。

でもこれって 他人事ではない。
看護の質は 患者に反映する。
患者には 誰もがなりうる可能性を持っている。
だから 看護師だけの話・・・じゃないんだと思うようになった。

ただ・・・今思うのは 
どっちの看護がいいではなく・・・
せっかく ここで たくさんお金払ったんだから 
何か 日本に持って帰れたらなぁ・・・って 日本で年をとりたい私は思う。
私の老後が 日本で平安であるように・・・(笑)?!

2005/10/17

なんで私なの?!

アデレードは 夏になってきました!!
昨日今日と 友達とベランダでビール&ワイン。
アルコールのおいしい季節です。
あっ・・・またジム行かなきゃぁ。

で・・・今 夜中。
でもちょっとまだ眠くないので・・書いてみる。

今日のタイトル「何で私なの?!」・・・って思ったこと何度かある。
半分怒りで 半分諦めで・・・そして悲しみなども・・・うずまいていた。

昨日書いたように・・・彼氏をなくしたときもそう思った。
「何で私なの?!」ってね。
でも・・・
オーストラリアにきて・・・メルボルンで洪水を起こしていらい・・・
私は 「何で私だけ??」とか「なんでこうなるの??」と・・・
怒ったり 問いかけたり 悲しんだりすることはなくなった。

1年半前・・・引っ越したばかりの家を洗濯機の水でビシャビシャにした。
というか・・・部屋に足を入れると 足が水に埋もれた。
私は ナイトマーケットに行くのに 初めて洗濯機をまわしたまま外に出た。
そして 帰ってくると・・・1階の人が荷物を運び出している。
「???この夜に引越し??」・・・そう・・・わが家に入り 理由はわかった。
私は 呆然として・・・何をどうすればいいのかわからなかった。
台所も 部屋も 廊下も すべて・・・水びたし。
一緒にいた友達が 新聞やタオルで処置してくれてたが・・・
そんなのでは追いつくわけがない。 そして その夜どうしたのかも覚えてない。
次の日 不動産屋に電話した。でも・・・関係ないから自分で処理しろとのこと。
目の前真っ暗・・・頼みの綱は???何のアイデアもなかった。

そして 大切なことをしてない!!と・・・友達に教えられ・・下の人に謝りに行った。
彼はとっても優しく 「ここは大丈夫。それより君のうち大丈夫?」と・・・
そのやさしさに 胸が熱くなった。が・・・下の部屋を見たとたん 心臓止まりそうだった。
「この修理いったい いくらかかるのかと・・・」
そう・・・下の部屋は 天井から床までびしょぬれ。

私は 一緒にいてくれた友達にいった。
「わたし・・・いくら払わないといけないの!? 
もう 神様が私に何を言いたいのかわからない。何でこんなことが起こるの!!」って・・・
そしたら 友達は
「神様は きっと・・・洗濯してるときは 離れるなっていいたかったんだ。」
・・・と 真顔で言った。
私?????・・・・怒り!!より・・・力が抜けた。
「あのね・・・私真剣にいってるの。」と・・・言うと
「・・・Junko・・・神様の言いたいことなんて すぐにはわからない。」
と・・・友達は静かに教えてくれた。

私は この言葉をきっと一生忘れない。

13年前 なぜ彼が死んだのか それがなぜ 私の彼だったのか・・・
今も私にはわからない。でも・・・これだけはいえる・・・
その経験がなかったら 透析の病院にいこうと思わなかった。
透析の病院に行ってなかったら・・・私は 看護師になっていなかった。
看護師になっていなかったら・・・私はここにいない。
父のことも 耐えられなかっただろう。
でも・・・今は すべてがあたたかい。
死も 生も 友達も・・・家族も・・・。

神様は いつも私のことを考えて すべてを与えてくれる。
背負えない 重荷は 決して背負わせない。
すべてのことに意味がある。

ここに来て・・・
本当に大事なこととたくさんであった。
あの洪水もそう・・・
あのことがなければ・・・今の私はない。
あの言葉も聴けなかった。
だから・・・「なんでわたしなの?!」 という前に・・・
ちょっと・・・信じてみませんか?
毎日が意味のある素敵な日々であることを!

なぁんてね。
今日もアサイメント(課題)から逃げてるちっぽけな自分に言い聞かせるのだった。

P.S 信じられます?! 
   この洪水の修理費はほとんど払わなくてすみました。
   なぜなら 下の人は保険を使ってくれました。
   わが家は 友達がじゅうたんを運び助けてくれました。
   そして・・・ この後 友達は・・・
   「もう オーストラリアにいられない!!」と泣いた私を・・・ネタにしてました。

2005/10/16

愛の形?!

「世界の中心で愛を叫ぶ」・・・「せかちゅう」
日本に帰ったとき あまりのブームにびっくりしたが なかなか見る機会はなかった。
そして・・・昨日 友達からDVD?を借りて朝まで見た。
実際には 夜中から見たため 朝方寝てまた起きてみた(笑)。
で・・・感想。
「う~ん。いいとは思うけど。あんな弱い男私はごめんだ。三浦友和のほうが好き。」
で・・・見ながらずっと願ったこと・・・
これをみてくる日本の観光客が・・・
あのウルルで「せかちゅ~!」と はしゃぎませんように...と。
アボリジニの歴史・・・聖地 ウルル。
確かに 空はきれい。夜はこんなに星ってあるんだぁと思うほど・・
でも・・・現実は そんなロマンチックなものじゃぁない(笑)。
空はきれくても 地上ではハエよけネット付き帽子をかぶらなきゃいけないぐらい
ハエだらけの あの砂漠のウルルに驚くなぁ~。
実際 私たちが行った時には テントなしで土の上に寝袋でねて・・・
その上 夜中に大雨が降ってきた。
それでも動かず 私たちは朝まで爆睡したが・・・(笑)。
そうそう!!それどころか トイレは野原??砂漠で・・・
夜 電柱もないから・・・これがけっこう怖いんだよ・・・
なんてったって無防備なひととき・・・だから(笑)。

そう・・・このドラマの内容だけど・・・見たことない方のため??
そう・・・高校生の純愛もの。・・・17歳の女の子が白血病で死んでいく。が・・・
この時付き合っていた彼氏が死んだ彼女をその後17年たっても忘れられず。
・・・涙。っていうものです。
なぁんて言うと・・・このファンの人たちからクレームがきそうですが・・・。

涙・・涙・・のドラマ大好きなんだよ。
すぐに泣くし・・・
でも なぜか??このドラマに対してクールな自分がいる。
それは きっと自分が 大切な人をなくしているから???なのか・・・
と・・・自問自答すると・・・それは違って・・・
私はこういう愛の形を持ってないから・・・と 望んでないから。
共感できないんだと思う。

いつか ここにも・・・昔のことを書こう・・・かなぁ。
と思うけど・・・
書き出すととまらないだろうしね・・・と・・・
いつも 逃げてる??避けてる??めんどくさいがってる??(笑)

でも・・・きっかけだから・・・ね。書いてみる。
私は 今年7月に大好きな父をなくした。
そして もう?13年・・・一生この人と歩いていきたいと思った人を病気で亡くした。
でも 私・・・大切な大切な人を亡くしても 生き続けてる。
自分の人生を。
父の病気を知ったときは  悩んだ・・・帰ろうかと。
でも 一時帰国だけを繰り返した。
なぜなら 私は父の娘としていきたいと思ったから・・・
父は自分に弱いことが嫌いで・・・
「悩んだときには 簡単なほうをとるな。自分にむつかしいと思うほうを選べ。」と・・・。
「名誉やお金はなくなるけども 自分の頭の中に入れたものは誰にも盗まれない。」
と・・・宗教ももたず 自分のみを信じ 家族のために仕事だけして生きた父。
そんな父に娘として・・・できることは・・・
自分の道を歩いていることを見せること。
どんなに父のそばにいたくても・・・
ここから生きている力を見せることが 
私を娘として誰よりも愛してくれた父への感謝だと思って 今もここにいる。

でも これがもし 私にとって 初めての人をなくす経験であったなら・・・
私は オーストラリアに立っていることは できなかったと思う。
彼をなくして13年という月日がったた今だからこそ できたこと・・・。
それは・・・やっぱり
時間のやさしさであり・・・周りの支えでもあり・・・
経験から・・・どんなことをしても残されたものには 後悔は残ることを知っていたこと。
そして・・・今を生きるのに父の死を言い訳に使う生き方だけはしたくない。と思っただけ。

そう・・・だから 私はこのドラマに共感なかった。
私は17年も過去に生きることはできない。ともに生きることはできても・・・
泣くのは・・・悲しいから??
泣くから悲しいの・・・??
泣く暇があったら 笑っていたい。彼をなくしてそう思った。
これからどうしようかと自分の将来だけを考え・・・
後追い自殺なんてこれっぽっちも考えなかった自分がいたことに気が付いた日から。
なぁんてね(笑)。

でもさぁ・・・そういえば 父が亡くなる時
母のことをおいてオーストラリアに戻ろうかどうしようか心配する私に
「一般的に・・・ある程度の年齢で妻を亡くした男の人は けっこう落ち込むけど・・・
 夫を亡くした女の人は・・・なぜだか どんどん元気になっていく」と・・・
慰めてくれた人がいた。・・・それって 一理あるのかもね。
だから 「せかちゅう」の残される人は 彼だったのかも・・・
だって あれが 反対だったら???
私はあのドラマ成り立たないと思うけど・・・
女性である??私は彼をなくしても ますますプラスに生きている!
そして 母も!いまとっても元気 「お父さんに感謝よね~」って 毎日忙しそう。
そう・・・そして この間話題に上がったのは どっちが先に結婚するかって!
でも とりあえず「頼むから 私が行くまで待ってよ。」と・・・母に言っておいた。
だって 母にあの父を越える男性が現れるとは思わないから・・・
結婚記念日を厄日だと言い続けた父
震災のとき・・・自分が母に覆いかぶさり守った父。
病室で母のくるのが足音でわかる父。
死ぬ前日に母を抱きしめありがとうを伝えた父。
昔は 暴力もふるうへんこで 頑固な父だったけど・・・
父は たくさん愛をくれた・・・家族に 母に・・・
母と父を通してみた 夫婦という形の中でのかたちを変えていく愛。
「それも素敵だなぁ」って思う。

「ありがとう。」って 神様に感謝。そして・・・
ここまで 読んでくれたみんなに感謝 「ありがとう。」です。

         


 

2005/10/14

Lovely シェアメイト!

オーストラリアにきて初めて 
「まったく知らない他人と一緒に住む。」ということを体験した。
日本では 考えられなかった。
知らない人=信用できないor心休まらないetc・・・

でも 実際に体験してからは 私はとっても素敵なシステムだと思ってる。
特に経済的に!! 家賃&高熱費は人数で割り 安くて広いところに住める。
一人だと 使えないほどの広いキッチンもオーブンも シェアだとちょうどいい。
そして何よりも 寂しくない!!
家で人がいる物音がする(時々騒音に変わるが・・・笑)。
日本で一度も一人暮らしをしたことがない・・・なぜなら
寂しいのがいやだったから・・・。
帰ると誰かいて 朝起きて 誰かと話せる。
これって 私には 大切な事柄。

シェアの話に戻って・・・
いいところもあれば もちろん悪いことろもあるのが 当たりまえ。
今は・・・誰が トイレットペーパーを買うか!掃除をするか。(笑)
こんな基本的なことが問題にあがってくるのが ともに生活をする!ってことなのかも。
基本的に私たちのおうちでは 備品については
はじめ お金を集めて箱に入れてそこから買った人がとることになっていた。・・・が
すぐ そのお金がなくなった!!とられるわけじゃなく・・・
いろいろなものをそこから買うのだ。例えば 個人的に必要なものまで・・・で
この試みは 1回で終わった。
次は 気が付いた人から買っていく・・・
これは5ヶ月以上続いたが・・・買う人は決まっている。で・・・
ごうを煮やしたせメイトがハウスミーティングで発言。
今!!ちょうど先週から始まった試み・・・
買った人はレシートを張って お金を徴収!!
今は 始まったばかりだから うまくいってる。(笑)
なぜこんな簡単なこと最初からしなったのか?!
でもね・・・5人もいるから きっとまたいろいろ起こる。
昨日も メイトが買ってきたアロマハンドソープを見て
 「たかっ!!」(笑)1個 $5!!それも2個!!
(ここでは$5でご飯が食べれる。)
私なら 詰め替え用を買うけどなぁ・・・なぁんて思った。
そう・・・ものの価値観が違うから いろいろ起こる。

でも そうやって いろいろ学ぶ。
ここに来て 価値観って何か 常識って何か・・・
人を受け入れるって どうするのか、etc・・・学んだ。
そういう意味では 彼らは 人との距離感??のとり方が上手だと思う。
人の価値観や考えを 「そうだね・・・それもありかもね」と 受け入れる。
それは 人は一人ひとり違うから それでいい!
だから 私もあなたと考えなど違っていい!!と なる。
何でも 「普通がいい」や「同じじゃないでしょ」or「多数決」で 育った私には
何でも意見交換する ここで 
私の考えてる「普通」が普通でないことに気が付くまで時間はかからなかった。
でも 自分の意見をどう相手に伝えるか・・・が 問題だった。
いろんな人と出会って 受け入れてもらったり ぜんぜん違ったり(笑)で
最近は ちょっはうまく交渉したり意見を伝えれるようになったのかなぁ・・・とおもう。

・・・この間 星座の話になって・・・
「えっ Junkoはおひつじ座?! なのにぜんぜん怒りっぽくない!」と???いわれ
・・・あっ この人たち 星座で性格見るんだぁって思い・・・
「今にわかるよ。今は隠してるだけ。」って いうと・・・
「よくかくせてるよ!!Junko!」だって(笑)
その後 血液型で日本はよく性格判断するというと
彼らは 血液型を知らなかった。びっくり。
でも 考えてみると 知ってる必要ないっか。
あんなのけがしても一瞬で調べられるもんね。
などなど いいながら・・・日本の血型性格の話をしたら・・・
「たった4つで?!」とすごい反論するから・・・ 
真剣に「星座も かわんないじゃん。」っていったら
みんな 大笑いしてた。

2005/10/11

雨を楽しむ!?

大雨が急に降ってきた。
シェアメイトが走った。ベランダに・・・
何をするのかと思ったら??
この夜中に 座り込んだ 雨降るベランダに!!
「なにやってるの??雨降ってるよ。」と私が言うと・・・
「雨を楽しんでる!」って!!えっ??
私には理解できないこの行動。(お~い 夜中だよ。)

そういえば 先月も 大雨が降って 雷が鳴った。
そのときは ベランダで座ってると思いきや 「さむい!」と
上着を取りに 彼は部屋に戻り また ベランダへ・・・
そこまでするか?!と思いきや・・・玄関で声が・・・
あっ 別のシェアメイトが キッチンから椅子を持ち出し玄関で座っている。
そう・・・彼女も 雨を見ているのだ。「寒い」といいながら・・・。

ここ オーストラリアでは雨は貴重だといわれるが・・・
日本では考えられない行動に ちょっと ほほえましさを感じた。
そして 願う。 今日も 飲まずに静かに寝てね!と・・・。

私のシェアメイトは 飲むというと とてつもない・・・
ビール20本それにワイン, ボッカ,ウイスキーを1日で軽く飲みほす・・・
そして朝は私と同じぐらい早く起きる。(やはりアルコール分解酵素量が違うのか??)
部屋中に転がっているアルコールの瓶を 朝起きて初めて見たときには本当に 驚いた。 「一晩で これだけ飲んだのか??」と・・・。
でも・・・酔っ払って 時々 夜中に私の部屋をノックして 
こっちの 次の日のスケジュールもお構いなく 
「一緒に飲もう!」と叫ぶのだけは やめてほしい。(笑)

P.S 私のシェアメイト!?家族!は4人いて・・・OZ 3人+ネパール人。
   みんな私より ひと回り?も若い!!とっても フレンドリーで素敵な人たち。
   あっ 彼らは若い! だから??彼らは 飲んでも朝早く起きれるのか??

   

2005/10/09

関西人?!

オーストラリアにきって気が付いたひとつに 日本の文化がある。
それは 食生活であったり 考え方や常識といわれるものであったり・・・いろいろ・・・
その中でも 「おもしろい!」と思ったのが 関西人と関東人の違い!??

私は いつも気が付かない・・・
私のやっていることが関西人?独特のものであることを・・・
友達と後で話して 「えっ?!私の行動って ほかの人はしないの?!」と 知らされる。

例えば・・・試食。
昨日 ショッピングセンターで カレーソーセージを見つけた。
「これって どんなかなぁ??」と 肉屋さんを友達と話しながら通り過ぎた。ら・・・
友達が 「それさっき試食出てたよ。」と教えてくれる。
そう 私は迷わず試食コーナーに戻り おいしいカレーソーセージを食べた。が・・・
友達は見るだけ・・・で 私は 「ほら おいしよ」と 彼女にも試食を勧めた。
そして・・・私は 「う~ん 後で買おう!」とその場を立ち去った。
・・・ちなみに 後で私が買ったのはガーリックソーセージだったけど・・・

帰ってきて 友達とその話になったとき・・・私は爆笑した。
だって 彼女はこの試食のとき 
「えっ Junko? わざわざ戻って 試食するの?」って 思ったそうだ。
それを聞いて 私は???。
そう・・・彼女は ワイナリーに行っても 試飲していると
「何か買わないと・・・って思い 安いものを探す。」というのだ!!
私は もうびっくり!!
だってあれは お試しやん。客寄せ!ビジネスやん!と・・・
でも 納得・・・あの時彼女, 私がソーセージ勧めるまで食べなかったもん。
私は一瞬 「おいしいのに なんで食べへんのやろう??」って思ったから(笑)。

値切る!のだって 関西人の私には当たり前・・・
電気屋さんでもの買ったら 必ず値切るもしくは何かオプションをつけてもらう!
カメラフィルムとかコピー用紙だったり FAXのロール用紙だったりね。
でも 彼女いわく・・・考えられないって・・・う~ん もったいない。

人と話してみてはじめてわかる違い・・・
これって本当におもしろい!


・・・私の関西弁は オーストラリアに来て以来消えてしまった。
なので関西の友達と話すときにつられてでる 私の関西弁を聞き・・・
友達が 「えっ Junkoって 関西なんだぁ。」と驚くぐらい。
でも・・・今もなお 関西根性は 私の中に健在なようだ(笑)。

ただ・・・一言 言わせてもらえるなら・・・
関西人は あの値切ったりする時の店員さんとの会話を 楽しんでる!と思うのは・・・私だけ?


番外編・・・
私は 安く買えたことを自慢話をする!といったら・・・
関東では ユニクロの襟元のタグすら切ると・・・
だから 今では襟元にサイズしかない!とのこと・・・
う~ん そういえば ユニクロのタグ変わってたかも。

P.S 異議のある関西の方 いたらごめんなさい。 

2005/10/07

愛!?

実は 昨日患者に怒った・・・もちろん 心の中で。
それは 若い男性透析患者が 緊急入院してきたが・・・
私との会話の途中で このお方は 「お前とは 言葉が違うから話が通じへん」と・・・
いままで 散々しゃべっておいて 水分摂取の話になったとたん!通じへん!って。
確かに 透析患者さんには一番いやな話=水分摂取量。
(おしっこが でない分彼らは飲むのを控えるしかない 1日約500mlのみ)
悲しいかな・・・日本語ほど 英語を操れない。どころか 言葉も浮かばない。
そう・・・そこは無理せず引くしかない。と判断した。
なぜなら この患者 何度も入退院を繰り返してる。ちょっと問題を持つ人だったから。
彼の物事に対する理解能力は 5歳児ぐらいだろうか。
感情のままに表現し 暴言をはいたり笑ったり。
そう・・・こういうときが 1番看護って難しい。と感じる。
だって・・・プロという限りは自分の感情をコントロールするべきだと 信じてるから・・・。
そう信じてはいてもね・・・感情の生き物だから・・・心で怒ってしまった。

そう 昨晩は 「はぁ・・・なんで私があの患者さんを受け持つようになったの??」
って 愚痴りそうになってたが・・・
神様がくれる出会い・・・すべてのことには 意味がある。
そう・・・それだけを信じて プラス思考に考えることにした。
「これにもきっと何か意味がある・・・」と・・・。

考えてみると 私の中に彼に対する先入観があった。
先入観は 時々看護を邪魔する。なぜなら 経験や情報から すでに患者像を作ってしまうから・・・ 実際の問題や患者自身を見落とすことになる。
そう・・・人と接するとき なるべくまっすぐに人を見たいと思うけど・・・
時々 動物的勘などを 信じることがあり・・・
これが看護においては 大きな欠点となる。と・・・私の欠点 再確認。

こうやって・・・いろんな患者さんから いろんなことを教わる。
だから 看護ってすきだなぁって思う。・・・与えてるようで与えられ(笑)

そういえば メルボルンに行った時礼拝で 
「そこに愛がなければ それはすべて無意味なものになる」
これって よく聞く言葉で・・・素敵だけど 難しいなぁとおもう。
人の出会いや別れ・・・すべての出来事に意味があり・・・時がある。
その与えられた時に 感謝して・・・
愛を持って 人と接し続けられたらいいのになぁ・・・と思う。

“愛を表現する?!伝える。”
それは 特にここ・・・オーストラリアにきてから すごく大切だと思うようになった。
なぜなら ここでは 多くの人が気持ちを言葉に 温かく出してくれるから・・・
そら時々 「ほんとにそれ 心から??」って思うときもあるよ・・・
でも 彼らのくれる言葉は いつも 心地がいい。そして何よりも・・・ 
「Junko~!!」って ぎゅってハグされた時の心地よさ。
人って タッチングや言葉が本当に大切だなぁ・・・って 感じる。
メルボルンで出会った友達もそうだけど・・・
たくさんの人から 愛をもらってるなぁ・・・って感じる。
だから 私もいっぱい 人に伝えたい。
心でも怒らず・・・愛ある言葉で返せるようになりたい。
なぁんて・・・ あ? また ホームシック!!が始まる。
その前に いっぱい飲んで寝よっと!!

Dear my family in Mel
Grace,Lio, Ben, Tio, Nia,Daniel, Dola & Raja!! Apa kabar?!
I miss guys so much... I really want to see you...guys!!soooooooon.
I've got homesick ....becasue of guys!! ...5 days last holiday in Mel....
always given me so much love,havent you!! I am glad at having nice friends like guys.
I know that you always check this page...that's why I try to put some pictures here. but...I still write down it in only Japanese....
you can guess, cant you?! hahahaha....
Anyway I've got an airplane ticket for going back to Mel on 4th of Dec...
can not wait....
See you soon love GBU Junko

 

2005/10/06

食文化!?


オーストラリアにきて知ったこと。
それは 日本人は食にこだわる!ってこと。
例えばホストマザー、彼女は毎週同じものを作ってた。月曜日 トマトパスタ、火曜日 焼き飯、水曜日 野菜パスタ・・・そして月曜日トマトパスタ・・・。私は この食事1ヶ月で飽た。そのときは 彼女だけが そうなんだと思ってた。が・・・
老人ホームでバイトをしていて 気が付いた。毎日ほとんど同じメニュであることを!! 彼らは 調理法法にも こだわらないようである。野菜はいつもボイルし 肉あるいはソーセージに そえ食べる。 今の シェアメイトの食事を見ててもそうだパスタにトマトソース ラザニアにもトマトソース ミートパイにトマトケチャップ・・・???私から見ればみな同じだ。そして 彼らは野菜が豊かに安く 手に入るばずなのに 缶やインスタントをよく使う。

で・・・この写真!!手作り和風デザート!!
抹茶アイスとあずきとイチゴ 寒天 白玉など具沢山!!でも これすべて手作り!!
もちろん抹茶アイスは 抹茶の粉から・・・といったところで私が作ったのではないことが ばれそうですね・・・そう 私のお友達がこれを作ってくれたのです!!
あんこ好きの私にとって たまらなく 最高のお菓子です。すごくおいしかった!!

私の周りには 料理が本当に上手な人が多い・・・だから いつも私は洗いもの係。
料理ってセンスだっていうもんね。
私は 自分が料理のセンスがないことよくわかってる・・・なぜなら・・・初めて好きな人に作った食べ物は ハンバーグ・・・それを彼は “岩石ハンバーグ”とよんだ。
そう・・・真っ黒で 硬かった。
そのあと バレンタインデーに作ったチョコも なぜだか 硬く 噛めなかった・・・。
あれ以来 チョコは作ってない。もうきっと作らない。だって 面倒なだけ・・・。

こんな私でも ここでは毎日自炊している。
時々ご飯をこがしながら・・・(そうここでは ご飯をガスコンロで炊くのです。)
友達に 「こげないご飯だき鍋」という物を もらってから今は大丈夫!
って・・・その鍋も1度こがしたけど。
でも シェアメイトはそんな私の夕食を見ても 「淳子 おいしそうだね!!」といつもいうのだ。で・・・私は何か日本料理??を作るたびに 「食べてみて!!」と勧める。
今まで 受け入れられなかったのは 納豆だけだ!
それ以外は 「not too bad ~ beautiful 」で 収まってる???
えっ??彼らは 日本料理の本当の味を知らないから!?(笑)
でも 彼らにも ちょっとは日本の食文化の豊かさをわかってもらえるかなぁ・・・。
なぁんて 思うこのごろです。

はぁ・・・ホリデーも終わり 実習も始まったので 12月の大学卒業&一時帰国まで・・・がんばるね。

というのも・・・実は 今 久しぶりのホームシックなのでした。(帰りたい・・・・)
焼肉・ラーメン・餃子・とんかつ・かに・アサヒビール・居酒屋の軟骨のから揚げ・・・お好み焼き たこ焼き 羊羹 イチゴ まったけ さんま 塩さば 焼き鮭 ほけっけ・・・食べたいものだらけ。

追伸
オーストラリアについて書いてある面白い本です。興味のある人はぜひ!
  “オーストラリア 歴史の旅”(藤川隆男著 朝日新聞社)1300円

2005/10/03

建国記念日?!

10月1日は中国の建国記念日のため ランチpartyのお誘いを受けた。
建国記念日に私???と思ったが・・・私の大好物の “dumpling(餃子)party” というからには行かないわけはない。
で・・・行ってみたら・・・みんな中国人。そらそうだぁ・・・彼らの趣旨は建国記念日!?
でも そんなこともお構いなく 私は餃子作りに励む!食べるために!!
たくさん作ったぁ!!たくさん食べたぁ。
その中で 少しうれしいことがあった。
それは 私のために中国人の人たちが 
「英語を話すんだぁ!話すんだぁ!」とお互いに 笑いながら 
英語で中国語で!?言い合ってくれてたこと。
彼らの優しさがうれしかった。

日本に居たときは もちろん 話す言葉なんて考えたことはなかった。
でも ここでは ひとつの国籍だけのグループの中に入ると時々 寂しい思いをすることがあった。
時々他国の人がいるのを忘れて インドネシア人も 中国人も 自分たちの国の言葉だけでひたすら話す。もちろん日本人同士のときも同じ事が起こる。
これって きっと体験しないと気が付かないことなんだろうなぁ・・と思う。

あっ・・・でも 不思議。インドに行ったときは 言葉がわからなくても 寂しくなかった。
きっと 向こうが私が現地語をわからなくても どんどん話しかけてくること・・・
そして何より インドに来てるという前提での私自身の期待(甘え)が 彼らに対してなかったこともあるかもしれない。

ただ・・・いろんなグループに飛び込んでって 得た会話方法!!
それは とりあえず 何でもいいから one word コピーする!! 
そして 「これって何々??どういう意味?」と 聞いてみる。
そしたら たいてい 英語での会話が再び始まるのだった。
だれかが 私を気にしてくれるのを待つより 自分から入っていく。
このずうずしさ?が 人との距離を縮めて楽しい時間をくれるように思う。

出会いって素敵!!

2005/09/30

グレネルグ




自宅から車で30分のところに 海辺のリゾート地 グレネルグがある。
cafe や ホテル 高級マンションが建ち並んでいる。
といっても・・・日本で言うと “のどかな小さな町”。

明け方の嵐のような雨はすっかり上がり 快晴!!
ホテルについて びっくり!!広い きれい!!安い。
テレビがでっかい!キッチンも使いやすい。そして 景色も最高。
これで 一泊 3bedroom AS$230 (約2万円以下) 
そして ベランダにジャグジーあり 館内にプール&ジム付。
日本じゃぁ考えられないよね??

昼過ぎにチェックインし 夕方5時から飲みはじめ・・・食べ たべ 話・・・食べ。
寝たのは3時だったかなぁ・・・
でも ベットもすごぐ よかったのか ぐっすり眠れ・・・ 
みんな 早く起きてたよね・・
朝7時からジムに行ったり 朝食を作ってくれてたりと・・・
とっても とっても 楽しい “Girls Pajama Night” でした。
(こっちでは 女の子??達だけで集まり 1泊でpartyをするのをそう呼ぶらしい。)

・・・今度来るときは・・・ 
素敵なpartnerと二人っきりで・・・Sweet Pajama Nightを!!
なぁんて・・・でも だれがご飯作ってくれるんだろう?!(笑)     

今日も みんなにとって素敵な日であること祈ってます。

2005/09/27

日本上陸!!か弱い私達のための・・・・

友達が 輸入業を始めた。
彼と知り合ったのは 彼が数年間のアメリカ留学から帰ってきた後 だったから・・・
もうかれこれ 7,8年前???
阪神ファンで おっきな性格 でも几帳面だよね。
今でも 覚えてるのは 急患が出たときに他病院に患者を送らないといけなかった為
「カルテーコピーと患者履歴をまとめていて!!」と 
夜間受付警備のバイトとして病院にいた彼に頼んだら・・・
元医療事務の私もびっくりするぐらいにきれいに書類がまとまっていたこと・・・
「この人できる!」と 思った。
その彼が 東京に行き自分を試すといったのが5年前??
その話を聞いたとき 「えっ 東京って田舎もんの集まりやん!」と 
友達のロマンがわからない私が言った一言。(笑)

そんな彼が 輸入業を始めた。その1つが ワインのオープナー!!
これは お酒好きの多い私の友達にいいのでは!? と思いここに書いてみた。
で それが 今日のタイトル・・・日本上陸!か弱い私達のための・・・になったて訳。

私の周りには クリエイティブで 自分の人生に一生懸命な人が多い!
例えば フランスに飛んでって もう5年???今年結婚もし 豪快な性格だけど仕事は繊細な色を使いこなすメイクさん。 宮古・沖縄から神戸・東京・エジプトといろんなところを明るい性格でひっと飛びし 自分の人生を楽しみながらも 旦那を支えている彼女。 オーストラリアにご夫婦で3年滞在し 今は日本で 妻稼ぎ 金の卵の旦那さん!!もう結婚10年くらいだよね???でもいつも愛一杯の二人。
それに 大工さん 水道屋さん 卓球の先生 そう・・・みんな独立していまや社長!
結婚した女友達は 今母になる喜びをかみしめてる!! あるいは 母になり子供のお稽古に付き添いながら妻もこなすも 自分の趣味を 仕事を!!と・・・
オーストラリアで出会った日本に帰った友達は・・・英語力をキープしたいと関連した仕事へ あるいはすでに持ってる専門技術や知識をもっと生かせるようにと 飛び込んだ。 そして 今もなおオーストラリアで 勉強している友達!

・・・書いてて思ったんだけど・・・私の周りって 欲張りな人が多い!?(笑)
自分の今の人生に 満足せず。次へ 次へと!!なぁんてね。
そんな 素敵なたくさんの友達に支えられ 刺激を与えられ 私もここに残れてる。
素敵な出会いと 素敵な友達に感謝です。
一人でも 多くの友達が 自分の持つ目標や夢がかなえられる様に・・・
そして 私も!!そうなるれるように・・・
日々 過ごせたらいいなぁとおもう。

あっ・・・忘れてた・・・ワインオープナーのリンク先です。
http://www.valuefoods.co.jp/ 
ワイン好きの人 新もの好きの人 クリスマスプレゼントにいかが??
ちなみに ちょっと まけてくれると思ういます。
(junkoと どこかに私の名前使ってください そしたら きっとわかると思うから)

                                            

2005/09/25

雨 あめ アメ・・・




メルボルンには 1日の中に四季があるといわれるくらい 天気の移り変わりが早い。
さて・・・メルボルンよりも北西に位置するアデレードは??というと 
乾燥していて日が照る!!日差しがきつい。
そのアデレード・・・ここ数日雨続き。こんなの2月以降ここにきて始めて。

でも 晴れの日の朝焼け&夕焼けは 最高にきれい。
緑の芝生に 海に・・・時々自然の力というか 偉大さを感じることがある。 
オーストラリアに来てよかったと思う ひとつに  
この自然の大きさを知ったことだ。空が大きい 星がたくさん見える 海が広いetc・・・

さて なぜ 私がこんなにのんびりした事とが書けるのかというと・・・
いま 2週間のHoliday なのです!!
といっても 今のうちに課題を終わらせておなかいと 後で大変なことになるのですが・・・・。

というのも 出された課題に対して論文を提出して 大体それひとつで成績が決まるから・・・こわい。(看護実習に関してはプレゼンテーションと試験もあり)
日本と少し違い 課題を理解して テーマを自分で決めて調べて書き上げる。
これが 楽しいけど・・・かなり 苦しい。

前期は 「日本の医療システムについて」 
これは 日本はヘルスプロモーションがなってない。例えば 見えない予防を推進するよりも 平均寿命だとか病院での治療成果・研究等の数字で見える統計ばかりが前に出て来ていることを知ったというか いろいろ欠点が目に付いたかなぁ・・・。
「リサーチ」 私は “高齢透析患者のQOL”を 色んな文献を読んで
始めて 高齢で透析をしてる人をこれでいいのかと考えるのは 医療者の独りよがりで・・・ 彼らは“受けたいと自己決定してきている”と 看護者が思い直さないといけない という文献があることを知った。
あとは 「看護倫理」これは “高齢者の透析導入について” 
インフォームドコンセントでの問題に近いかなぁ・・・誰が治療決定や拒否できるかってところ。日本では患者の権利と一緒に 家族が決断するという文化的な背景が一緒にあること 看護師自身の倫理に対する勉強不足をここにきて私自身感じた。

今期やった 私が一番のめりこんだのは critical thinkingの課題で出したテーマ 「日本の准看護師制度を廃止しない。」というもの。
日本にいるときは 准看制度は廃止する!と かたくなに信じていた。
そして 医師会がこの案を妨げているとエビデンス(証拠や根拠)もなく思っていた。
でも オーストラリアにきて大学で勉強しているうちに思った。
本当に看護協会の言う“看護の質”を上げるのに 看護師全員が大学卒で 看護師免許を持つべきなのか???と。なにか 話が変わってきてるのではないかと??
なぜ 日本で“看護の質”が理由に取り上げられたか それは准看護師が 看護師と同じ仕事をしていることから始まる。学んだことも授業数も違うのにやってることは同じ。で 給料は違う。これが 看護協会の言ってる理由だ。でも よく考えてみると 給料が違うのは免許が違うから当然である。彼らの免許が違うのは 彼らの知識が違うのからである。
そして 法律を見ると 准看護師制度を廃止するのがいいのではなく “医師や看護師の指導のもとに働く” はずの准看護師の違法行為が問題なわけである。ほかにも問題はある。例えば 廃止にして今残ってる准看護師の立場をどうするのか。それに 患者は 看護師全員が大学を出るのを待たないといけないのか。(いつになるやら・・・)もしほんとうに 患者の為の看護の質の向上を求めるなら 法に従い准看護師と看護師の仕事をわける。それなら 今すぐにできる 患者にもわかりやすい 患者のための看護の質の向上だ。法律に沿ってないこと等が問題なのにそれには触れず 全員大卒に!と 看護師の学歴やキャリに目を向けていることが考えられる。また 准看護制度を廃止すると看護師になりたい人は 18歳の時点で決めないと日本の場合大学入学はほとんど不可能である。人生経験を持ったあと看護師になりたいと思ったときになれるような道が (准看護師制度のようなもの)がない。患者や家族から 看護師に求められているのは高学歴だけではないはずだ。

なぁんて・・・ほかにもいろいろ書いたような・・・
これは 日本にいたとき 全然考えなかった事柄だったので すごく楽しかった。
同じ看護仲間に話しては 「え?」っと 反対意見をもらったり・・・。
大学の勉強を通して いろんなことを角度を変えてみること エビデンスの大切さを学んだ。

・・・勢いよく だっ?と書いたので あれっ??と思うことあれば また 教えてください。
ご存知の通り・・・思うと一直線のイノシシなので・・・

では 夜も更けてきたので・・・おやすみなさい.

准看護師問題に興味のある方は 私が参考に使った“ナースに役立つ種類のサイト” 准看護師問題 http://www.geocities.jp/kazu_hiro/nurse/topic.htm と 看護協会ホームページhttp://www.nurse.or.jp/gaiyou/panfu/jigyo1.html をご覧ください。


   

2005/09/23

歩道に鏡??



先日メルボルンに行ったとき 
cityのメイン通りのトラム路線が大きく工事されていた。

そこを偶然通った私と友達に 赤い服を着たおじさんが急に声をかけてきた。
ここではたまに知らない人が 気軽に話しかけてくる事がある。で・・・よく話しを聞くと
おじさんはこの道を作った人のようで(工事人??) 

「この道路には貝が埋まっている 特にこのミラーが すごいだろ!(左上丸)」 
と わざわざ私たちを近くまで連れて行き・・自慢げに言うのである。

・・・私が???何がすごいのかよくわからないって顔してると・・・

「“この道になぜ鏡が落ちてる??”って 通る人は立ち止まるのさ!」

・・・・・笑・・・・こんな ユーモア??余裕を 私は持ち合わせてない。
たった1つの小さな鏡に ここまで自信と誇りを持ち 通行人を捕まえては説明し続けているおじさん。これは仕事として 人々に話し続けてるのか?? なんなのか・・・
今となっては このおじさんの話すらほんとなのか疑わしい・・・
でも オーストラリアって この話を本当に感じさせてしまう 何かがある。
人の温かさ 人々の生活に対する余裕・・・
まさに “Quality of life” をいつの間にか考えさせられてしまう。 

おじさんの目的は そこにあったのかも・・・

足を止める暇もない・・・ 
不思議に思うこともしない・・・ 
忙しすぎる私たちにくれた メッセージなのかも・・・

なぁんて・・ 
この後すぐ 一緒にいた友達は
「あれは 私達の税金から作ったんだ。無駄遣い!!」 と・・・ 
私を現実に引き戻してくれたのでした。(笑)

2005/09/22

Skype・・・・

ごめんなさい・・・
インドシアの大親友と skype というものを使って オーストラリアとインドネシアで会話してて・・・
これば便利だと思い 使いそうな人にメールをしてみましたが・・・
文字化けしてたようです。申し訳ありません。

yahooのサイトからも ダウンロードできます。http://www.skype.com/intl/ja/
世界のどこにかけても 無料!!MSNのチャットとにてるのかなぁ???
詳しい仕組みはわかりませんが マイクとヘッドホンで 話せます。
きっと 日本のコンピューターには 内蔵型が多いので 何もなくても話せるのもあると思います。

いろんな人とFREEで話せる!! ということでした。
メールがいった人・・・ごめんなさいでした。

青い空・・・




こんにちは。
昨日 みんなにメールを出して 
もう はやくも いろいろお返事をもらって・・・ありがとう。うれしいです。
今は日記のようにして これを私の友達が 見たい時だけ見てくれればいいという感覚で どこにもリンクしてません。 いつか リンクしたりいろいろできたらいいなぁとは思うけど・・・ スパメール対策なども 大変なようなので・・・分相応にいきます。

今日は 大学の写真 貼ってます。
お天気のいい日は 海と街が見えて・・・夜景なんて最高です!
小高い丘の上に 大学はあります。
city まで バスで 40分という・・・とっても静かで 勉強するには最高の場所です。

日本とは また違う 青い空。写真で・・ですが 楽しんでください。

2005/09/21

Melbourne


久しぶりに メルボルンへ行った。
たった5日間だったけど 
インドネシア(Indoensia)の友達と
教会に行ったり ランチしたり・・・
もちろん 日本人の友達とも!!

今回の旅のもうひとつ目的は 
日本の透析患者さんが メルボルンに来たときに臨時透析してくれるオーストラリアの病院と 日本の旅行会社の代理人としてコンタクトを取ることでもあった。
事前に アデレード(現在の私の住まい) から メールで連絡はしていたものの・・・
名刺も持ってない 学生の私の思いつきに オーストラリアの病院のスタッフが協力してくれるのか・・・とちょっと 不安に思ってきたけど・・・
私の会った アルフレッド病院の透析室の人たちは本当に 親切で 温かかった!! 「じゅんこ いつでも 連絡しておいで!」 とまで帰りには言ってくれた。ほんとに感謝。
ちなみに オーストラリアでの透析費用は 1回約$500(4万円ちょっと)とのこと。

はぁ・・・もうすでに・・・メルボルンが恋しい・・・
いつでも ”お帰り” と 迎え入れてくれる場所があることを本当に嬉しく思う。

        Dear my family in Melbourne...  GBU     From Junko

 日本の家族&友達へ
  日本でも メルボルンがテロに狙われているニュースは あっただろうと思い 
  今回 事前に行くこと隠してて・・・ごめんなさい。
   チケットをとった次の日に ニュースが流れたので・・・
  行くしかない!!でした。

2005/09/18

Nasi Tumpeng


ホームページ お試中・・・with Indonesian frineds

これは インドネシアでお祝いの時には 必ず出てくるデコレーション?? 
いえ・・・料理です。
タイトルのNasiとは ご飯のことで   Tumpengとは???
確認しなきゃ・・・