2005/11/30

天国と地獄??



今日がいったい何日なんだろう・・・
もう12月なのか どうなのかもわからないぐらい 毎日のスケジュールをこなしてた。
と・・・いっても 送別会=パーティー&パーティ!ですが・・・。

そして・・・昨日。
私は 生まれてまじめて??天国と地獄を1日で味わった。
朝 来年の大学院の教科のひとつにした 医療マネージメントの教授と会ったのだ。
一応 オファーはもらっていたものも・・・面接されるとなると 緊張した。
が・・・この教授!! とっても素敵な紳士。
日本の医療や文化の話に花が咲き!!
「来年 一緒に勉強を楽しもう! きっと君となら私達も教えることを楽しめる」とまで言ってくれた。
そう・・・帰り道は 暑さも忘れて・・・スキップでした。
だって オーストラリアで こんなにスムーズに物事が進むなんて!です。
大抵 新しいことをはじめると 何かが邪魔をする!でも スムーズじゃん!って・・・。

そして その足で友達と最終アサイメント(課題のエッセイ)の結果をとりにナーシングの事務所行った。
そう・・・ここからが 地獄の始まりでした。
アサイメントをもらった私達・・・これ???・・・おとしてる!!
点数が足りない。ちょっとの間 私たちもめてました。
これ落ちてる?落ちてない? 算数・・・久々に真剣にしました。
後のことは 思い出したくもない・・・。

でも 強くなったなぁとおもいます。(いいのか悪いのか???だけど)
その後 冷静に まず 担当講師に電話・・・が 留守電。
メールを送る。いろいろしました。
私 マスター(大学院)にいけない・・・。
それどころか 私達これ落としていると卒業できない?!

後は われながら動くの早かった~。
後ろのなくなった人間って 何でも出来るんですね。
友達の引越しも手伝いながら メールをあちこちに打ち。
その隙を見ては オフィスの主要な人物を捕まえて話した。

その結果 やっと・・・
さっき 大学院は日本の成績表から o.kがでてたので
この学部は関係ないから 心配するなと。
そして 問題の“Critical Thinking”そう 落とした課題は 
講師の採点に対して納得がいかないと 教授にいろいろ説明。
そしたら もう一度採点を審議するとのこと。
さて・・・この結果どうなることやら・・・ですが。

人って いろんなこと経験しながら強くなるんだなぁと思ったなぁ。
泣きもせず・・・わめきもせず・・・
なるようになるさぁ・・・と 
神様はいつも私達の先のことまで考えて 物事を与えてくれている。
決して私の望んでいるものが 与えられなかったとしても
それは 神様の考えと違うから・・・えられなかったである。と・・・神様の導きを信じてた。

でも・・・昨日は よく寝れなったなぁ。
信仰が薄いのか・・・。

日本に完全帰国なら 神様が用意してくれてるのは“結婚じゃない!”なぁんて言ったけど・・・
まだまだそれはなさそうです。

・・・と いろいろありましたが 人生なんの変更もなし!と言うことで 
帰国は予定どうりに12月8日。メルボルンは12月3日入りです!
今日明日と荷物の片付けです・・・。恐ろしい量あるんだけど・・・。

でも 今回も いろいろな講師の先生&教授が 
本当によく動いてくれて・・・助けてくださって 感謝です。

「この国は・・・その人がいたいと思えば ずっといれる。」
ナーシングホームで 老人の方々がおっしゃってた言葉を思い出しました。

やっぱり 何か動くたびに 何か起こる オーストラリアですが・・・
オーストラリアが悪いのか?? 私が悪いのか??
また 少しクリアになってしまったような(笑)。

2005/11/26

終った~

昨日 大学最後の試験が終った。けど・・・なんだかあっけなかった・・・。
オーストラリアにきて いろんな病院を見学していく内に大学に行きたいと思い
勉強し始めたのが 2年前・・・今年大学に入り 終り。
長い休みが多いのと 授業と言うより自分で本や資料を探して
勉強するのが多いいから 余計に学校!に行ってた。って感じがないのかもしれない。
でも たくさん学んだなぁ。そして 自分が何がしたいのか 興味あるのかを 考えさせられた。
これって ある意味よかった。課題を与えるだけでなく 興味ある分野を伸ばせる。
そして 言えば先生達もサポートを惜しまない。これが楽しかった。
だから マスター(大学院)も行こうと思えた。

今日は シェアメイトが出て行った。
ここは大学の寮のようなものだから 12月から2月の夏休みにはほとんど生徒はいなくなる。
私のシェアメイトも エアーズロックの近くの実家に今日帰っていた。

彼女が帰るとき・・・私に残して行ってくれたものがこれ!風船。
これは 彼女の21歳の誕生日に届いたもの!私に届いたのじゃぁないのに これを見たときに キャッキャはしゃいで 「見たことない すごいかわいい!」と 大騒ぎしたのを彼女は覚えてて・・・
彼女が今朝 去るときに 私の部屋に投げ入れてくれた・・・。
来年は違うユニットに移ると言う彼女・・毎年ユニット(家)を変えて友達を作るそうだ。
寂しくなる・・・けど また会えるよね!とってもかわいい風船ありがとう!

あっ このお家・・・うれしいことに ホリデー中自宅に帰ると なんと家賃がいらない!
だから 私が日本に帰る間の3ヶ月家賃要らない!週$130 だからすごい節約です。
でも 部屋の荷物は全部大型ロッカーに入れないといけないからちょっと面倒。
きっと 誰かに短期で貸したりするんだと思う・・・。
ほんといいシステムです。
今日は 今からBBQパーティーに行って・・・のんびりしたら 明日ぐらいから掃除開始です!

あっという間に終った大学。また 後1年半 たのしみだなぁ!
ここに入れることに感謝。
そして 何よりも・・・いつも サポートしてくれる家族 友達に感謝。

2005/11/22

夢・・・

今 ちょうど来年の大学院でどんな科目をとるのかを検討中だ。
看護と言うベースからは離れたくないと思い・・・
看護大学院に 申し込んでいるが 私はそこから ヘルスプロもージョン&マネージメントをとるつもりでいるが・・・これがまた すごい細かく分かれている。プライマリーヘルスケアにヘルスプロモーション・ヘルスマネージメント・ナーシングマネージメントetc・・・。

何がしたいんだろう。と 自分に問いかける。
何をもって帰りたいんだろう??日本に・・・。
いろいろ勉強したい。
でも 年齢も・・・考える。
だって マスターは1年半か2年・・・ということは 私は36歳になる。
う~ん・・・30過ぎてからが すごく早い!!
この1年 1年を大切にしたい。

いろんな人に話を聞いてもったり 聞いたりしながら・・・
自分の考えをまとめる。カウンセリングのようなものを 繰り返しながら・・・
探していきたいと思う。
これから 自分が何をしたいのか・・・
今までの ベースを生かして何が出来るのか・・・。
はぁ・・・
20歳なら・・・迷わず 何をするだろう??
ふと思った 今日この頃でした。

・・・って 金曜日 試験だから 試験準備しないとね!!
夢より 現実を見つめなきゃ!!

2005/11/18

笑いが・・・止まらない!

終ったぁ!!実習が終ったぁ!! 
3月から始まって 今日!!最終日。
日本との違い。いいところ悪いところ・・・いろいろ知った。
はぁ でも今は なんでもいい!!とにかく終ったぁ!













で・・・この写真。
日本では私は見たことがない スタンディングマシーンと言って たたせるときに使う機械です。
患者さんを抱えないでいい為 介護者の腰を痛めないことが一番の利点です。
ベットから これを使ってたってもらい 移動して 車椅子に座らす と言うものです。
ほんとは もうひとつ違ったリフトもあるのですが・・・修理中のため この写真だけです。
ここでは 患者さんの移動に関して介護者と患者両者の安全の為 細かい規則(ポリシー)があります。
また これは 来年 コースを取って勉強しようと思ってるので・・・
おいおいに・・・。
ここでは 患者を抱えない = ノン リフトポリシーは いまや常識です。
日本で 患者を抱えている看護師を思い出すと・・・いろいろ複雑な気分です。

とりあえず 目標達成! 実習終了です!!
あとは来週の 試験だけ!
卒業まで あと・・・数日!!

2005/11/16

インド 3 -教育-


インドに行って 教育の大切さを知った。
人は習わなければ 知らないということを知った。それに気が付いたのは ICUでの患者さんの“深呼吸”を通してだった。
例えば 日本の病院で
「深呼吸してください」というと おそらく99%の人が出来るであろう。
が・・・インドでは ほとんどの人が肩を大きく動かして大きく息をしている。これじゃぁ 肺には空気が入んない。
ここに何の差がある??・・・たぶん教育だろう。
私達日本人は 体育の時間やラジオ体操を通して深呼吸の仕方を学んでいる。
99%の日本人が出来ること=義務教育が万人に与えた知識。
でも インドでは・・・教育を受けれる人はホンの一握り。
私の出会った子供達は青空教室に通ってた。それにも年齢的に限界がある。
収入を農業に頼っている家は 子供も数のうち・・・働くのだった。

じゃぁ・・・そんなこんな経験をしたインドの・・・何がいいのか?!
何がそんなに魅力的なのか。
インドの魅力・・・

私は 週に2回 村の診療所に往診についていった。
どこに行ってもそうだったが・・・インドの子供達はいつも私を家に誘う。
が・・私 都会の子なので「知らない人の家にいかない」と・・・かたくなに思っていた。
しかし 病院のスタッフに「行っておいでよ!」といわれ・・・
「大丈夫かぁ??」と 疑いつつ・・・家にうかがう。
そうすると いつもどこのおうちでも 1杯のチャイとお菓子が少し出る。・・・が
お茶を飲むのは私だけ・・・
「お菓子一緒に食べよ!」と 私が頂いたものを分けようとしても
「あなたは大切なゲストだから!」と私が食べてるのをにこにこしながら見てるだけ。
このチャイ だいだい一杯3円。
彼らの月の収入3000円。天候で収入が減る月もある。
・・・このたった3円のチャイ 彼らには高い。
そう 彼らは飲まないのではなく 飲めないのであった。
私は このことを知らなかったのだ。この事実に気が付いたとき・・・
私は恥ずかしかった。
なぜなら インドにいる間 私はいつも 心に怒りをもっていた。
インドが なぜ変わらないのかと怒ってた。こんなにも 貧しいのに・・・と。
しかし 貧しかったのは 私のほう。
私には 彼らのような 人を心からもてなす気持ちはない。
私は 世界中を行ったり来たり出来る お金も持った。
でも 恥ずかしながら・・・
私には 人として基本的なものがないことを 彼らから教わった。

この写真・・・私はここの診療所に行くのが あまり好きではなかった。
なぜなら ここの村の人はだれもまったく
英語がわからない でも 子供達はずっと 私の周りで何かを訴えてくる。・・・だから 私はここに居続けることがかなり苦しかった。

帰ってきて 写真を焼いて驚いた。
この子供達のまっすぐな目。
カメラを向けた 私に向かって向けられた子供達の目。
私は インドでは気が付かなかった・・・彼らのこの目・・・。
ただ 英語でコミュニケーションが取れない。と・・・
避けたがっていた この診療所の写真が・・・
私にとって最高で忘れらない写真となるとは 知りもしないで・・・。

この写真をいつも 机に飾ってる。
心を忘れそうになったとき・・・欲に走りそうなとき・・・
私は 彼らの純粋でまっすぐな目をみる。
そして また彼らに会いたいと思うのだった。

インドという国・・・貧しいのかもしれない。
でも 彼らにとっては 生まれてきてから そこに育ってきてるから
何も貧しくはない。当たり前の生活なのだ。
この クリスチャンフェローシップ病院を建てた Drタリアン氏が こう言っていた。
「私達は貧しくはない。シンプルな生活をしているのだ」と・・・。

ほかの国を知っているものとして・・・
インドの人々の差に腹が立った。他国との差に苛立ちを感じた。
でも私には わからない
インドが変わることがいいのか 変わらないほうがいいのか・・・。
たった1ヶ月だけしかいなかった私を 家族として受け入れてくれ 
最後には 涙 なみだで 別れを告げたインド。
誰と誰が兄弟なのかわからないぐらい
みんなが強く自然につながっている インド。
そんな素敵なインドだからこそ・・・
インド人がインドを変えることが大切なのではないかと思う この頃だった。

終わり・・・

インド 2 <怒り>

インドに行ったのは 去年の10月。
なのに 書き始めると 昨日のことのように 怒りがこみ上げてくる。
それは 自分と海外に住む教育を受けたインド人に対してだ。
自分に対しては 病院という中で機械を通してしか働けない自分を嫌というほど知ったこと。自分の知識と技術のなさに・・・また・・・
インドで何かできるのでは??と思い上がってた自分に対する怒り。
現地の言葉もわからず何ができる。
(大学以上の教育を受けてない人は英語は話せない)
看護師として??他国のものが入っていって出来ることは知れているということだ。
なぜなら そこに住む人たちには 文化があり宗教があり・・・生活がある。
それを理解し 溶け込むのに 何年必要か。
そこを理解しなければ 結局“援助”という名の自己満足やおせっかいになる。

例えば ICUで 私は忘れられない2人の患者さんがいる。
1人は20歳前の青年。OPE室から運ばれてきたが・・・
下半身はブルーのシーツ(防水シーツ)で覆われていたが まだ多量に出血していた。
私には この状況が理解できなかった。
なぜなら Ope室から運ばれてきて なぜまだ出血している!!何の為のOpeだ!?
しかし この??はこれだけで終わらなかった。
この青年の友達を集めて 輸血し始めたのだ。
もう私は この状況が納得いかず 何が起こってるのか!
出血しているところを止めずに 輸血したって 無駄だ。何を考えているのか?!
それに 友達達の栄養状態だって決して良いわけではない。
彼らにとっても 大切なものなのだ。それなのに 無駄に輸血しようとしている。・・・
この青年 バスに跳ねられて運ばれてきたのだった。
Drは 腰の骨が砕けててどうしようも止血できないと説明してくれた。
が・・・納得いかない。
この輸血のルートを取るのもそう・・・これだけ出血してる患者だと末梢の血管を確保することは難しい。日本ならすぐに 股関節や鎖骨下にある 大きな静脈にルートを確保できる。が・・・ここではできない。
Drは 腕の中関節から 大きな静脈を探るつもりで 皮膚剥離を始めた。
私は 透析室勤務で何度も静脈と動脈をつなげるopeをみたことあるから 
Drが何をしてるかわかってた。が・・・どう見ても Drが触っているのは“腱”だった。
静脈ではない。そこに輸血のルートを直接取ろうとする。が もちろん無理だ。
・・・私は 怒り寸前だった。「何やってんだぁ」・・・
すると外科のDrが来て 「それは違う」と伝えていった。
・・・この夜中に運ばれてきた青年は 明け方になくなった。・・・

もう一人の患者さんは 50歳ぐらいの男性で大腿骨を骨折してOPEするも 
帰宅後創部から感染を起こし・・・私が見たときには 傷は完全に開き 太ももの骨が見えていた。彼は 循環不全から 手足はむくみ 痛みを訴えていた。が・・・
この患者さんへの看護・・・ガーゼ交換のみ。
動けない為 尿道に管が入っていて おしっこがボトルにたまると 家族が捨てに行く。
そう・・・ここの病院では 必ず家族が1人付き添って患者の身の回りのことをする。
というか・・・インドの人たちは親族のつながりが強く
1人が入院すると親戚中が病院に来る。面会時間以外は 窓からのぞいている。
(仕事を持っていない人が多いことも関係あるかもしれない。)
さて・・・この患者さん・・・私が一番忘れられない人である。
なぜなら 私達は同じ言葉を持たなかったから コミュミケーションは取れない。
でも 私が手をさすったり 背中をさすったりすると・・・いつも 目に涙をためる。
そして 私に手を合わせる・・・何も出来ない私に・・・。
ただ・・・私は この時インドの患者さんのおかれている状況を少し理解し始めていた。
病気になって 生きることが どれだけインドの中で 家族の負担になるか。
みんな日々生きていくことで精一杯なのに・・・まだ 病院の費用がかかる。
家族の中には 治療を拒否して連れて帰る人もいたぐらいだ。

それ以外にも カースト制度が 影響しているのか・・・
看護師を見ていると 患者さんや家族に本当によく怒る。感情的に・・・。
と・・・看護が見えない。この場所で・・・。
だから 私が患者さんのところに 手を握りに行くと
インドの看護師さんたちは 「淳子は なぜ患者さんがすきなの?」と聞くのだ。
わたしは???これって「好きとか嫌いのもんだい?!」でした。
私は 何も出来ない自分を知ったから 自分に出来ることを何か探したかっただけ。
なんでもいい 何か 看護師として教育を受けてきた中で 使えるものはないか・・・。
それが ゆっくり患者さんのところで時間を使うことだった。
たとえ 言葉が通じなくても・・・。
でも これも結局 自己満足である。
なぜなら 私は患者から何の情報も得られずに自分の情報と価値観だけで動いたから。
でも 看護師として 処置以外の何か看護が見えてもいいはずなのに・・・
・・・私には よくわからなかった インドの看護が・・・。

ここに書いた たった2人の患者の例でも・・・日本でなら助かっている命かもしれない。
日本の医療をもってすれば あっという間に治ったかもしれない。
でも それでいいのか??
本当の 医療とは?? 医療の意味を考えさせられた。

私は この時たまたま 同じ病院にきてた 1人の日本人医学生とよく話した。
何がこんなにも すべてに違いを生むのかと・・・。
そして その時彼がいった・・・「医療は 地域が作り出すものなのかも・・・」
この一言が 今も私の脳裏に残ってる。

そして オーストラリアに帰ってきて・・・
私は たくさんのインド人にあった。そして 聞いた。
「国に帰らないのか?」と・・・なぜなら 彼らはDrであったり 看護師であったり・・・
そうでなくても ここにこれるインド人は インドではものすごいお金持ちであるのは間違いないからである。=国を動かせるぐらいの教育とコネクションは持ってるはずだ。でも・・・誰一人として 帰るといった人はいない。友達を通して1人だけ・・・インドに帰るといった人がいるようだ。と聞いただけ。

私は この国に行って・・・
カースト制度をはじめ 残っている文化 そこにある宗教・言語・習慣
そして 人々の暮らしを 本当に理解できないと 持っていたものが
そこに必要となり生きることは難しい。なぜなら そこに住む人たちが使い
そこで生きていくのは 私達でなく彼らなのだから・・・。

私は このインドの旅行を通してだした答えがひとつある。
それは インドはインド人によって変えられていくべきである。ということだった。
そこに 何か 私達がサポートできる道はあるかもしれない。
でも 本当に インドが変わるのは インド人によってである。
今 なぜ あの病院を 1人で建てたDrタリアン氏が 
「インドはインド人の手によって」といってたのかが・・・わかる。

これと同じように・・・日本を変えるのは 日本人がする。
外で教育を受けたものは それを日本にもって帰る。
これが 海外で教育を受けるチャンスを与えてもらった私達のすることのような気がする・・・
私は これから・・・私が今の自分を使って何を積み上げられるのか・・・
そして 何をもって帰れるのか・・・自分に問い続けたいと思う。

追伸
さっき インド1を書いてから・・・
ホンと興奮して 寝れなかった・・・で・・・もうすでに 2を書いた(笑)。
インドは それほど魅力的な深い国です。人が ものが すべてが・・・何かを教えてくれる国。
大好きな国 インドです。このタイトル きっと 3も すらすら 書けます(笑)。

2005/11/15

インド 1


いつか まとめようと思いながら・・・そのままになってたインド旅行。みんなにも写真を見せるといいながら・・・そのままになってた。

去年 インドの病院に1ヶ月滞在した。
ひょんなことに このきっかけとなったのは 英語の試験だった。思うように点が取れず それに やる気も落ちてきていることに気が付き・・・このままでは だめだぁ。と思い・・・日本に帰らずに 何かできないかと考えて行ったのが インドの病院。
もともとインドやアフリカでの看護に興味があり英語を学びに来たのがオーストラリア。
まぁ こんなにもオーストラリア滞在が長くなっているが・・・

オーストラリアからの一人旅・・・。
オーストラリアで出会った インド人の友達にも1人旅はだめ!と止められながらも・・・決心したこの旅。きっと 一生忘れない。いろんなことを学んだ 旅でした。

まず・・・インドに行く途中・・・
インド航空の機内で出会った貿易関係の仕事をしているというOZに
「女性の一人旅は インドでは危ないから 僕が目的地まで 車で送ってあげる!」と 
優しい言葉をもらうも・・・ふと「この人が一番危ないかも・・・」と感じ どうするか迷った。
でも 結局 彼と私の行く方向はまったく逆の為 彼は私のために空港でタクシーを手配してくれた。そして くれぐれも気をつけるようにと・・・言ってくれた。が・・・
私は インドの空港に降り立ったその瞬間・・・もうすでに オーストラリアではなく
“日本”に帰りたいと思っていた。それは 想像を超えるインドの空港・・・。
いろんな国に行くと 空港に降りたらその国が大体わかる・・・が この空港・・・
人が怖かった・・・見る見るみんな 私を見る。
そうもうすでに私は どうやったら明日帰れるかと・・・飛行機のチケット変更を真剣に考えてた。

そんな思いを持ったまま着いた病院・・・そして 誰も私の到着日を知らない。
それどころか 私がくることすら知らされてない。
私は 何ヶ月も前から 院長先生とコンタクトを取っていたし
彼は 何の心配も要らないから 受付にその日に着たら君を案内すると言っていた・・・。でも これが インド流。
O.K!o.k!でも 何も進んでない。何も準備されてない。でも 来る者は拒まない。
そう・・・私は 病院内にあるゲストルームと呼ばれる部屋に案内され・・・
そこで 1ヶ月を過ごした。でもこの部屋・・・はじめの2日間夜中に何度も目が覚めた。
きっと 怖かったんだろうと思う。
この写真が・・・ゲストルームのトイレ&バスルーム!!

そのドラム缶に1日2回水をためる。朝の6時と夕方4時。これを忘れると私は 手桶シャワーもできないし・・・もちろん トイレも! 水道をひねれば出る “水”があんなにもすばらしいとは ここにくるまで知らなかった。

この1ヶ月を病院のICUと分娩室でほとんど過ごした。
・・・というか・・・ラジオもテレビもない為=娯楽はない
だから 私は夕食後はほとんど分娩室で過ごしていたかった。
夜中はなぜだか 分娩が多かったから!


いつも 狭い分娩室は一杯!ここでは 1日10人以上の新生児が生まれた。
でも 生まれた赤ちゃんは 台の上にほりっ放し・・・。そのあと 赤ちゃんは おばぁさんに手渡される(大体が産婦の母親)。そして おばぁさんは外にいる親類に見せに行く。が・・・この外は・・・土ぼこり。そう・・・生命力というものを私はここで何度も感じた。日本のように 新生児室もなく・・・生まれてすぐ 外に行き おばぁさんに抱かれている赤ちゃん。命って 何だろう。何が生死を決めるのだろう・・・。そんな 言葉がずっと頭にあった。この分娩室で・・・。

インドを旅して・・・いろんなことを感じた。
こんな国があるとは・・・想像以上の 日々はここで1ヶ月続いた。

・・・あっ 続きは また 明日。

あっ ちなみに 飛行機であったOZは とっても親切な人だったらしく・・・
この病院にまで 電話をかけて私が到着したかを確認してくれてたのです!!
でも 私・・・彼の連絡先すら聞いてなくて・・・お礼も言えず・・・そのままです。

2005/11/13

外泊!!

アデレードに来て 初めてこのアデレードを車でたくさんドライブした。
アサイメントも無事に終わり!!やったぁ!!と 
25日のテストに向けて 一休み。

この外出は まるで“刑務所”からでる人のようだぁ!!と友達と大笑いした。
だって 私も友達も ここにきて もう9ヶ月以上・・・でも 
何も知らない。cityすら案内できない。道も知らない。
だた・・・知っているのは 大学内のみ・・・。
そう 私達は ここにきてから 外の空気を吸ったことがない!!
あっ・・・グレネルグはちょっとわかるよ!!(前にみんなで泊まったホテル!!)

そう 土曜日は お外の空気を吸いに!リフレッシュ!!
ショッピングにもいった~!!ランチも外でたべたぁ!!
といっても・・・内容はどこに行っても代わり映えしないオーストラリア。

そして 友達のホームステイハウスに!!
これがすごっく素敵なおうち!!
プールにバーに シアターroom!!



パパとママはPartyに出かけて なんとそのまま外泊!
そう 私達は 朝まで うだうだ ペチャクチャ 話した。飲んだ。
あっ 私は2杯だけ。友達・・・数えられないぐらい飲んでた・・・。
はい。また 朝の4時だったかなぁ??3時だったのかなぁ??


久しぶりだから こんなに楽しいのかなぁ!
すごっく 遊んだぁ!!食べた。買い物した!!

でも・・・みんなあと少しでお別れです。
ここにいると どんなに仲良くなっても・・・
必ずいつか“バイバイ”いわなきゃいけなくなるから・・・
それが寂しく・・・つらい。
離したくない・・・大切な友達。

結婚・恋愛・仕事いろいろゆれる お年頃だけど・・・
・・・祈ってる。・・・
すべてが いい方向に 向かうことを!!
信じてる。みんなが いつも輝いていられることを!
祈ってます。
心から・・・みんなに 素敵な日々が続くことを!!
そして 私もここで頑張るよ。
勉強を捨てて??人生すべてを変更してでも 歩いていきたい人ができる その日が来るまで!!(笑)

2005/11/09

ちょこっとの幸せ。

さぁ・・・あせりだして アサイメントを仕上げよう。・・・と
残りのものに昨日の夜から取り掛かる。結局 昨日寝たのは朝3時。
というのも集中力がおかしくなってた。何を書いてるのかわからない。
・・・で 朝おきて見直すことにした。今朝9時おき。
何が問題って 6時間睡眠なんて私には少なすぎる!!けど・・・
昼から実習だから 時間がない。・・・で 実習にも行った。

こういう時期 日本では味わったことないようなストレスがある。
なぜなら 日本語だとどうにでも広げて書けるものが 
英語ではどうにもこうにも・・・埋まらなくなるからだ。

さて やっと 今日のタイトル。“ちょこっとの幸せ”。
何がって!?
実習の帰り道・・・コーラが飲みたくなった。
日本では飲みたいと思わなかったコーラだけど気候のせいかここではホンとよく飲む。
そして お財布をさぐると たくさんの小銭!!と 1枚のお札。
そう この小銭が$2ないと 自宅近くのコーラは買えない。
だって 自販機なんだもん。
・・・で 数えた。20セントコイン×8枚 10セント×2枚 
5セント!さぁ この小さなコインが何枚あるかが問題だぁ・・・と
夜道で 数えた。・・・・!!あったぁ!!合計$2!!
でも 油断できないのが オーストラリア。
お金を入れても コーラが出てこないことがある。けっても無駄です(笑)。
そう 手にするまで 油断できない・・・で “一枚 2枚・・・”
・・・・ゲット!!した。
うれしさ一杯で 帰ってきたら・・・
部屋の前に 紙袋。???? 
見てみると おかしだぁ!!
この際 差出人なんて気にしない!よろこんだぁ。
また ちょこっとの幸せ ゲット!
あっ これは テストや課題のストレスをちょっとでも和らげるようにと
このお家を管理してる人達がくれたものでした。

そう 今日はこのちょこっとの幸せがなんだか妙にうれしい。

・・・これって・・・
もうすでに かなりのストレスがたまっているのかも・・・
だから わたし 今日 ちょっとおかしいのかもしれない。
・・・と ふと思った・・・今でした。

明日は5時半に起きて実習だぁ。
でも もうすぐ卒業!!終わる日まであと3週間?・・ないや16日!!

2005/11/07

やっちゃった?(2)

この週末お家でパソコン使えず・・・理由はお金を払ってないから。
家は大学内にあり ここのインターネットは使った分だけお金が引き落とされる。
で・・・お金切れ。それも事務所が休みの金曜の夜から・・・。
ネットがないとこんなにも不便とは・・・で “海猿”を見てた。と言うわけです。
昨日は 大学の図書館へ行き日記の更新をしたけど・・・
更新できず・・「“原因不明”新しいプログを書いても自動的にいかない・・・」と
古いプログに張ってみた。・・・が 実のところちゃんと 更新されていたのだ。
でもね!!私が見た時 この古いプログすら変更されてなく???だった。
で・・・帰って ユニットに住む友達にプログ見てもらったら・・・
「更新されてるよ!」はぁ???でした。
コンピューターって ほんとわかんない。
短気な私が悪いのか・・・複雑すぎるコンピューターが悪いのか・・・
答えは明白だった。また この性格が・・・ミスを生む(笑)。

土曜日!アサイメントやテストのストレス??で 
「一杯だけ飲もう!!」と 夜11時から家で友達とワインを飲んだ。
ベランダから見える夜景(昼間は海まで見えるんだよ)に幸せを感じながら・・・
今 私のシェアメイト達も同じようにアサイメントやテストを抱えている。
だから 気分転換?!に・・・のみはしないが一緒に座って話し込んでいく。
これを繰り返してた。そうなんです・・・
私のシェアメイトは入れ替わり立ち代りベランダに出てきて
私達と話す。そして 私の友達も付き合ってくれる。
・・・ワインが減っていく。・・・・
私は同じ話をしだしたぁ。・・・はい 朝の4時。
昨日1日久しぶりに 二日酔い・・・ってもんじゃない。つらかった。
でも 何よりも 酔ってないシェアメイト相手に 延々としゃべりつつけてた私・・・
昼起きると みんな私を見て すご~い笑顔・・・
「いいお酒だったでしょ!」「気分はどう?!」
「なかなか部屋に帰してくれなかったよ JUNKO」などなど・・・
・・・そうだよね。
昨日に限って みんな酔ってないんだもん。
はぁ・・・はずかし。なに しゃべってたんだろう・・・

2005/11/06

涙 涙・・・

久しぶりにタオルが放せなかった ドラマ「海猿」。
http://wwwz.fujitv.co.jp/umizaru/index.html
あつ~い男の物語+恋愛。
よかった。
何がってね~ あのプリッとした“おしり”に“筋肉”。
う~ん。・・・あっ じゃなかった(笑)。

ドラマをみて ちょっと 考えた。
何で自分がこの仕事につきたいと思ったのかを・・・。
いろんな欲がでたり いろんな色にふれて ころころ変わっていったり悩んだり。
でも・・・なんだったんだろう?「看護婦になりたい。」っと思ったのは・・・。
これから・・・もし 迷ったり悩んだりしたら・・・そこに戻ればいいんじゃないかなぁ・・・
始まった場所に・・・と このドラマを見て感じた。
生きてるといろんなことが起こったり 刺激されたり 自信なくしたり・・・。
でも 初めときの純粋な思いを忘れないこと・・・
これが 人として 素敵な仕事につながるような気がする。
経験したこと失敗したことは 消せないし 消す必要はないと思う。
回り道や経験は 貴重な宝だから・・・。
けど・・・迷ったとき 悩んだとき・・・
もう一度 スタートの気持ちにを 想いだしてみること・・・
大切なのかも・・・と “海猿”を見て思った。
友達が「わくわくする」って言葉がキーワードだよ。って 言っていた。
そうかもしれない・・・始めようとしたときの“わくわく”。
純粋な気持ち。
そういうものを忘れずに仕事 できたらいいなぁと思った。

このドラマ・・・男ってかっこいい~!!と 言いたくなるドラマです。
なぜって 仕事に 人にまっすぐで ちょっと不器用で・・・愛する人を守る男達。
サブタイトルも“信じることで 愛することで 極限の世界で戦える”。ふぁ~!
これを見たあと友達は 「海猿 捜さなきゃぁ。」と・・・
海上保安庁のホームページをチェックしたそうな・・・。
そして 私は 漁師さんがいい!と 離島看護派遣に登録・・・な わけない。

・・・でもさぁ・・・女でよかったよね~。
だってさぁ・・・“亭主は留守で元気がいい。”と 言いながら 
旦那様の稼いだお金で美味しいランチを食べられるんだもんね。男の人が命はってる間。
注:ドラマの女性は決してこのような事は言っていませんでした。
  だって おしりぷりぷりの伊藤英明だもん。そら~そばにいてほしいでしょ(笑)。
 

2005/11/04

ねれない・・・

寝る前に ビールを飲んで寝たのに 寝付けない。
あれから もう3時間・・・
いつもならあきらめるけど・・・今日は 寝たい!
なぜなら 明日は5時半おき。
なのに・・・仕方がない・・・
もう少し飲んで 寝よう・・
でも もう結構ほろ酔いなんだけどなぁ・・・
タイピイングしにくいもん。

ちょっと前までは 11時にはぐっすり寝てたのになぁ・・・
やっぱり???日本に帰ったら 何しようばかり考えるから・・寝付けない??
寝付くって こんな字でいいのかなぁ???
わかんないやぁ・・・まっ いいっか。

おやすみなさい。

2005/11/03

やっちゃった。

はぁ・・・また やってしまた。
今日 バチッとユニホーム着て家をでて 走った。
なぜなら 病院に着くのが時間ぎりぎりになりそうだったから・・・
家から病院まで 徒歩10分。(cityはあんなに遠いのに・・・)
で・・・走った・・・が・・・走りにくい。
・・・気が付いた。「あっ スリッパのまま出てきた」。
あ~ やっちゃった。もちろん お家に帰って履き替えました。

・・・病院から帰ってきて・・・鍵を探した。
・・・ない・・・また やっちゃった。
夕方5時までなら 事務所が開いている。
それ以降は 各ユニットにいるコーディネーターに連絡して
かぎを持ってきてもらわないといけない。
でももう 夜10時なのでシェアメイトがいるはずだ!!
・・・ドアをたたく!!「あれ Junko かぎ忘れたの??」とあけてくれた。
でも・・・自分の部屋に入れない。なぜなら・・・ 
私はいつも部屋の鍵も閉めるから というかオートロック。
そう 困った。部屋に入れない。
ただ私・・・前科もので・・今までにこれやったの数回・・。
でも どれもよく探すと 鍵は 鞄の中にあったり・・・
キッチンのテーブルに 置いてあったりする。
そこで その経験から でる前に何をしたか・・・考えた。
が・・・今日ばたばたしてため・・・よくわからない・・・スリッパが見えた。
「あれ?私ここで 急いで靴履き替えて スリッパそのままにしてで出たんだぁ。」
で・・・靴箱を開けると・・・鍵。
はぁ・・・自分で自分のどんくささに驚いた。

昨日も・・・
昼に病院で ロッカーで「あっ お弁当がない」で みんな「えっ!!」
でも 私まぁいっか きっと朝の人が間違えてもって帰ったんだと思う。と
夜ご飯を病院の売店で買った。
で・・・家に帰ってきたら・・・
部屋の机の上に・・・お弁当箱。
・・・うそでしょ??? 持ってってなかったんだぁ。

ここのところ・・・疲れてるのかしら??
それとも これは私の性格なのか・・・
でもさぁ・・・これでもあのバタバタしてる
透析室できちんと仕事こなしてたんだけど・・・と・・・
思ってるのは 自分だけなのか??・・・不安に思うこのごろ。
私・・・ちゃんと看護師に戻れるのかなぁ???
う~ん どっちかっていうと 私は家族の幸せを考えたり 
子供の世話をしたり・・・の“専業主婦”の方がいい!!なぁんてね。

2005/11/01

夢中!!

私が今夢中になっているもの・・・
Takeさんのプログ!
http://ameblo.jp/sommelier-buyer-take/archive-200510.html
なぜって?? 食べ物がいっぱい!! これが 中途半端なものじゃない!
プロです!! あっ・・・そうでした。Takeさんは プロです!
ソムリエバイヤーさんなのです!

オーストラリアにいると ほんと食べ物に変化がない。
季節のせいもあるのかも・・・日本には四季があるから
栗!銀杏。秋刀魚に ぶりに・・・鍋に そうめん・・・
うなぎに あわびに 鮎!ほっけ。
あっ・・・なんて ゆうんだった どじょう鍋!?
川??柳じゃぁないし・・わすれた!はぁ・・・食べないと名前すら出てこない。
日本にいるときゃぁ 肉食だった私が・・・ここで思い出すのが 魚とは・・・
ほんと魚にうえてます。

しってます??
オーストラリアでは いっぱいシーフードが取れるはずなのにシーフードが高い!
注:日本に比べるととっても安いが 肉や野菜に比べると断然高い。
これは日本に輸出しはじめたことが影響してるそうですよ。
たしかに 日本に輸出してる量はすごいだろうね。

あっ 話は Takeさんに戻って・・・一度見てみてください。
私はこの数日 このプログから離れられず・・・
いやしんぼうの私は・・・これらの品を一つでも多く食べるためメモを取りつつ
日本に帰る日を楽しみにしてるのです!!

・・・ただ 彼のページに行くと
また 私のドジをお目にかけることになるかも・・・
ほんとにね・・・。周りの友達は気が付いてるようなんだけど・・・
私って 結構ドンくさいの?!
私・・・それを友達からいわれるまでは
“う~ん 私って何をやらせても 段取りいいし完璧!”って思ってた。
けど・・・「はぁ?それは違う!」とみんなに指摘され・・・
気が付いた自分の多くのドジ。。。。
まぁいっか それも 私ですから・・・(おっ 開き直りです)

あっ ちなみに今日は “メルボルンカップday”だよ!
オーストラリアで最大の競馬の日!!
ここでは 競馬場に行くときは みんな最高におしゃれしてきますよ!!
すっごい素敵な日です!!